▶批評の庭

小金沢 智|「批評の庭」主宰、日本近現代美術史 2010年4月8日

とりわけ「現代美術」について、「どこを見ても結局私の読みたいものは書かれていないのではないか」、という思いが日々増すことこそあれど減ぜられることはほとんどなく、このたび自分で場所を作ることに決めました。

いや、作る、などと言うとおこがましく、有難いことに、この時代、場所はどうにでもなります。誰でも利用可能なウェブスペースを借り、私が読みたいと思う人に執筆を依頼し、また、私も書くことで、定期的な批評・評論の掲載を目指します。

ある媒体で書くということは、その媒体の性格に応じた制約を受けることも意味します。

しかし、安価でレンタル可能なサーバーを利用すれば、経済的ないし政治的な舵取りをする必要もなければ、テキストの分量制限もほとんどありません。見た目や使い勝手こそ好ましいものではないかもしれませんが、それゆえここに掲載されるのは、制約から離れ、書き手が「書きたい」と心から欲する生々しい「声」であるでしょう。

書きたいもの、第三者に伝えたいと欲するもの。

それは本来、経済的、政治的影響を受けるものであってはなりません。作家やギャラリー、美術館、マーケット等々の思いとは別に書かれるものでなければなりません。

「それでは、一体誰がその言葉を求めているのか」、という疑問の声が挙がることでしょう。私はその問いかけにこう答えたいと思います。「他の誰でもない、書き手がその言葉を発することを求めているのだ」、と。

そう、誰でも借りられるネット上の一区画であるがゆえに内容の信頼性が疑われるとすれば、それを補完するものは書き手の誠実さ以外にありえません。

美術史と呼ばれるものが一次資料を集積/研究/編集することによって成立するものであるならば、たとえここが世界の果てでも、集った言葉を必要とする人がいずれ訪れることを信じ、ウェブマガジン「批評の庭」は、ひっそりと創刊します。