2015年12月9日水曜日

レビュー|内田あぐり個展 “愛に関する十九のことば”

展覧会名|内田あぐり個展 “愛に関する十九のことば”
会期|2013年1月30日(水)~2月18日(月) 
会場|日本橋高島屋6F美術画廊X


執筆者|宮田 徹也


fig.1 内田あぐり個展 “愛に関する十九のことば”展示風景 提供:内田あぐり

私はこれまで内田あぐりについて、舞踏とのコラボレーション(2011年9月)、過去作品の特異な展覧(2011年10月)と考察してきた(いずれも「批評の庭」)。今回は新作について言及する。内田は今回、以下の作品を出展した。《緑の思想》(220×840cm/雲肌麻紙 岩絵の具、墨、膠、楮紙、紙縒) 、《消光♯12h》(220×360cm/雲肌麻紙 岩絵の具、墨、膠、楮紙、紙縒) 、ドローイング《飛ぶ用意をして来る事》《Listen to a heart beat》、《樹下の二人》、《眼を閉じて》、《Dear mother》、《きみの体からもうひとつの体を発明する》、《愛が死ぬ》、《私は聞かない、私は見ない》、《24時の海》、《24時の樹下》、《24時の河》、《手で触れる》、《untitled》、その他多数(紙に鉛筆、又は透明水彩)、小品タブローは日本画(2点はメキシコの古い宗教額入り)。

画廊はこの展覧会に際して、カタログを作成した。画廊の挨拶、内田の年譜、内田自身の言葉「忘れることはない」、ドローイング2枚、作品の部分1枚、内田の制作風景の写真1枚で構成されている。「忘れることはない」において内田はガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』の一節を引用し、「長く続く愛はどのような人にも等しく本当は存在している」と指摘し、自分の体にも日常的な制作が体に染み付いていることを述べ、今回の新作に様々な感情が込められていることを示唆する。そして、「私の絵画は人間の動くフォルムを追求することで、そこにある生命感を表現しようと思っているのですが、それと共にもう少し深い所にある、例えば人間の精神的なものや本質的なもの、不可視なものを見きわめたいと考えているのです」と記す。

fig.2 内田あぐり《緑の思想》 提供:内田あぐり

全く以って、今回の内田の作品は内面的に見える。何よりも驚いたのが、《緑の思想》の静謐さである。9メートル近い画面の中で、人が死に、人を祈る姿が描かれているように見える。それが2011年の震災に対するレクイエムとも、仏陀入滅とも見えてくるほどの、鎮魂が込められているように感じるのである。しかも色彩は灼熱の赤でも洪水の青でもなく、人間が戻るべき大地の茶でもない「緑」である。我々は緑と共存すべきである筈なのに、そのような意識すら失われている感がある。内田は人間が粉塵となって何処かへ回帰するのではなく、今生きている姿を見つめなおし、帰る場所など何処にもないことを教えてくれているのではないだろうか。緑は、《消光♯12h》においても渦巻く。そう、静謐な世界の中にも、内田の新作には従来から持ちえている動きのフォルムがある。

fig.3 内田あぐり《消光♯12h》 提供:内田あぐり

その動きの速さが問題なのではない。在り方の変化が重要なのだ。人間は自らの意志で動いているのではなく、あらゆる関係性の中で動かされているに過ぎない。それは神への回帰などでは決してなく、人間が人間である最低限の条件であるのだ。だから当然、個々の意図は存在する。しかしその意図は、決して実現することはない。実現しない行動であるからこそ、本能や情感を超えた、計り知れない鼓動が連動する。内田の新作二点は、このような実現しない行動の所作が描かれている。動く/動かない、動かない/止まらないという対立次元で論考するのではなく、一元論で、人間が動き続けることが大切なのである。すれば、精神と肉体という二元論から解放され、人間は自らの心拍をどのように動かしているかという根底に辿り着くことができる。

fig.4 内田あぐり個展 “愛に関する十九のことば”展示風景 提供:内田あぐり

《緑の思想》と《消光♯12h》という大作二点に挟まれるように身を置く。すると、絵が動き出すのではなく、確かに自分が生きている状態にあることを確認することができる。絵画が動くように見えるのは、我々の視線が生きているから実現する。かといって、絵画もまた生きている。挟まれた一面しか見ることができずに、もう一面の絵画に私は見られているのだ。振り返ると停止する。もう一度振り返っても動き出すことはない。しかし、この行為を繰り返すと、磁場が反転し、私が私である理由などという些細な事項から解放される。私は動き、絵画が動き、会場が動き、天体は回り続けている。これが停止するのが単なる死であると考えることができない。死とはそれ程単純ではない。生もまた、そうはいかない。どのような想像力を携え、我々はこれからの地獄の季節へ向かうべきか。

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