2015年12月13日日曜日

レビュー|「奇蹟の画家ピエトロ-L-キクタ―未来の油彩画」展

展覧会名|「奇蹟の画家ピエトロ-L-キクタ―未来の油彩画」展
会期|2012年12月28日(木)~31日(月) 
会場|ギャルリーパリ


執筆者|宮田 徹也


fig.1 「奇蹟の画家ピエトロ-L-キクタ—未来の油彩画」展展示風景

キクタさんと出会ったのは、横浜に住んでいた当時、アパートのお隣さんであったデザイナー宮下有美さんからの紹介であった。桜木町・野毛の旧バラ荘で酒を共にした。洒落た服で葉巻を吹かし、路上生活者の印象とは大きくかけ離れていた。若い頃ボクサーを目指していたのが、なぜ独学で絵描きになったのか分からない。ヨーロッパを周り、ピエトロ=聖ペテロは洗礼名であるという。

謎が多くとも作品が素晴らしいので、企画をした。DMに書いた文章の一部を再録する。キクタの作品を見るとジャン・デルヴィルの魔術性、パブロ・ピカソの形容性、デ・クーニングの暗黒性を想い起こすことができるが、その画風は坂本繁二郎の詩情、萬鉄五郎の形象、長谷川利行の筆跡等、日本近代油彩絵画の歴史に位置づけられる程の実力に溢れている。

fig.2 「奇蹟の画家ピエトロ-L-キクタ—未来の油彩画」展展示風景

またキクタの作品は、島村洋二郎、田中一村、長谷川潾二郎の系譜に位置付けることもできよう。日本における油彩のあり方に、定義は必要ないのだ。今日、図像的な作品が増す中で、キクタのように画面から情感が滲み出てくる作品は数少ない。キクタの絵画と向き合うことは、私達に絵画の存在の意味を想起する稀な機会となることだろう。引用終。

都築響一のブログに掲載して戴いた私の報告の一部を再録する。私は友人と共にキクタの作品を旧バラ荘の相馬創氏に強く推し、展覧会が決定した。しかしキクタは金がない。私も当然金がない。私は批評と共に美術やダンスの企画も行っているが、アーティストを支援する立場ではない。そのため、友人と共にキクタの作品を買った。キクタはその資金により、展覧会を実現した。引用終。

fig.3 「奇蹟の画家ピエトロ-L-キクタ—未来の油彩画」展展示風景

出品したのはF4号の《ウキヨエ美人》、《カブキデゴザル》、《ジミー・B・ディーンの肖像》、《風のベネチア》、《ひまわり》、《主とぺテロの聖鍵》、《ベイブリッジ》、《富士とラウンドマーク》、《青春の自画像》、《ナカヨシ‐インコ》、F6号の《パリ-エッフェル塔》、《サンピエトロ寺院》、《ノーマ・ジーン・ベーカー》、30号の《聖ぺテロの天国乃鍵》、20号の《宇宙の未来》、計15点であった。

fig.4 「奇蹟の画家ピエトロ-L-キクタ—未来の油彩画」展展示風景

小さな作品であろうと、存在感と生命感に満ちている。ギャルリーパリのディレクター、森田彩子さんのアイデアで、作品の間に大きく間を取って、贅沢に展示することにした。短い会期の中、多くの人々に訪れて戴いた。その中にはアーティストが多く含まれていた。ある者は「見たことのない色彩だ」、またある者は「ここまで欲がなく描くことは本当に難しい」と語った。

fig.5 「奇蹟の画家ピエトロ-L-キクタ—未来の油彩画」展展示風景

ここに描かれているのはキクタの過去の思い出、今見ている風景であっても、キクタの現実に他ならない。空想も誇張も一切ない。そのため、作品に立ち現れる形、色彩、空間、透明度、空気、雰囲気は、見る者にとっても現実と化す。現実を現実として描くことを、多くの巨匠と呼ばれるアーティストは追い求める。キクタもまたその一人であり、その領域に到達しようとしている。

作品を描くことには、厳格な精神が必要とされる。絵は誰にでも描ける。唯、その決意と実行が不可欠となる。芸術に身を捧げることとは、世間から外れ、浮世の世界に住むことではない。現実と向き合い、格闘し、欲を捨て、自己鍛錬した方法論で向き合わなければならない。それを実現しているキクタのこれからの作品に私も向き合いたいし、多くの方々の目に触れて欲しい。

2015年12月11日金曜日

レビュー|【北村さゆり展】―陽に“タチドマル”―

展覧会名|【北村さゆり展】―陽に“タチドマル”―
会期|2013年1月27日(日)~2月9日(土)
会場|シルクランド画廊


執筆者|宮田 徹也


fig.1 【北村さゆり展】—陽に“タチドマル”—展示風景  提供:北村さゆり

北村さゆりは1960年、静岡県生まれ。86年、多摩美術大学絵画科日本画専攻加山又造&米谷清和クラス卒業、88年同大学大学院美術研究科修了。2001年、平成13年度文化庁芸術インターンシップ(文化庁)。莫大な数の小説の挿絵と表紙を描いているが、静岡県立美術館、山種美術館、平野美術館が所蔵し、練馬区立美術館に寄託されている通り、絵画としても高く評価されている。数多くのグループ展に参加するが、東京での個展が少ないのが勿体無い。

fig.2 【北村さゆり展】—陽に“タチドマル”—展示風景  提供:北村さゆり

「現代『日本画』の展望展―内と外のあいだで―」(和歌山県立近代美術館/2006年)において出品した大型の作品を、私はよく覚えている。この展覧会は北村の近作をまとめて見る機会に恵まれた。出品した作品は小品中心であっても50点を数えた。北村は日本画のテクニックを充分に備えているので、小さな作品の中に、広大な世界観が犇き合っている。遠くへ誘う奥行き、画面が窓に見える空間性、瞬時を捉えつつも普遍化する力を携えている。

fig.3 【北村さゆり展】—陽に“タチドマル”—展示風景  提供:北村さゆり

また、具体的な形を持つ作品もあれば、絶対抽象のようにもみえるほどの作品もある。様々なイメージを明確に描いていることが伺える。それは描くことの確実にも結びつく。つまり北村の抽象性には必然が伴っている。同時に北村にとって、具象性と抽象性という概念は余り意味がないのかも知れない。しかしそれは、琳派と近代デザインを安易に結びつける発想とは区別される。北村の作品はあくまでも現代に対して呼吸を行っている。伝統と確信と言う概念すらも持ち得ない。

fig.4 【北村さゆり展】—陽に“タチドマル”—展示風景  提供:北村さゆり

北村の作品で何よりも目を引くのは、影が描かれていることにある。日本画に影が描かれなくなったのは何時からだろうか。古代からか、中世の大和絵からか、近代の再編からか。一連の日本画の中で、強力な描線がそのまま影になっている作品もある。日本画における影は西洋的な二元論ではなく東洋的な一元論なのかも知れない。いずれにせよ日本画に「影を描いてはいけない」という禁忌は存在しない。その為、北村が影をえがくことは間違いではない。

fig.5 【北村さゆり展】—陽に“タチドマル”—展示作品  提供:北村さゆり

北村が影を描くことによって、北村の作品に描かれている対象の光が強調される。それでも影は裏方の役割を果たすのではなく、光を強調しながらも影の存在感を示していく。薄明かりが障子によって家屋の影と溶解するような日本画の印象に比べて北村の影と光は、油彩画の在り方に近いのかも知れない。このように考察すると、はじめに論じたように、北村には日本画と油彩画の区別など必要ではないのかも知れない。

西洋画と日本画の中間であると定義することは可能であろう。春草と大観が記した日本画の未来、即ち日本画と油彩画の相克が実現されていると論考することにも無理はない。しかし相克が問題になると、区分が前提となる。そのどちらか、どちらでないかという振り分けは権威主義へ通じてしまう。人間主義に陥る必要性もない。北村の影は、北村が今、ここに生きるために描かれる必然性が伴っている。北村の作品にある、現代美術と日本画という区分すらも超克する意義は我々が見つけなければならない。

2015年12月9日水曜日

レビュー|内田あぐり個展 “愛に関する十九のことば”

展覧会名|内田あぐり個展 “愛に関する十九のことば”
会期|2013年1月30日(水)~2月18日(月) 
会場|日本橋高島屋6F美術画廊X


執筆者|宮田 徹也


fig.1 内田あぐり個展 “愛に関する十九のことば”展示風景 提供:内田あぐり

私はこれまで内田あぐりについて、舞踏とのコラボレーション(2011年9月)、過去作品の特異な展覧(2011年10月)と考察してきた(いずれも「批評の庭」)。今回は新作について言及する。内田は今回、以下の作品を出展した。《緑の思想》(220×840cm/雲肌麻紙 岩絵の具、墨、膠、楮紙、紙縒) 、《消光♯12h》(220×360cm/雲肌麻紙 岩絵の具、墨、膠、楮紙、紙縒) 、ドローイング《飛ぶ用意をして来る事》《Listen to a heart beat》、《樹下の二人》、《眼を閉じて》、《Dear mother》、《きみの体からもうひとつの体を発明する》、《愛が死ぬ》、《私は聞かない、私は見ない》、《24時の海》、《24時の樹下》、《24時の河》、《手で触れる》、《untitled》、その他多数(紙に鉛筆、又は透明水彩)、小品タブローは日本画(2点はメキシコの古い宗教額入り)。

画廊はこの展覧会に際して、カタログを作成した。画廊の挨拶、内田の年譜、内田自身の言葉「忘れることはない」、ドローイング2枚、作品の部分1枚、内田の制作風景の写真1枚で構成されている。「忘れることはない」において内田はガルシア・マルケス『コレラの時代の愛』の一節を引用し、「長く続く愛はどのような人にも等しく本当は存在している」と指摘し、自分の体にも日常的な制作が体に染み付いていることを述べ、今回の新作に様々な感情が込められていることを示唆する。そして、「私の絵画は人間の動くフォルムを追求することで、そこにある生命感を表現しようと思っているのですが、それと共にもう少し深い所にある、例えば人間の精神的なものや本質的なもの、不可視なものを見きわめたいと考えているのです」と記す。

fig.2 内田あぐり《緑の思想》 提供:内田あぐり

全く以って、今回の内田の作品は内面的に見える。何よりも驚いたのが、《緑の思想》の静謐さである。9メートル近い画面の中で、人が死に、人を祈る姿が描かれているように見える。それが2011年の震災に対するレクイエムとも、仏陀入滅とも見えてくるほどの、鎮魂が込められているように感じるのである。しかも色彩は灼熱の赤でも洪水の青でもなく、人間が戻るべき大地の茶でもない「緑」である。我々は緑と共存すべきである筈なのに、そのような意識すら失われている感がある。内田は人間が粉塵となって何処かへ回帰するのではなく、今生きている姿を見つめなおし、帰る場所など何処にもないことを教えてくれているのではないだろうか。緑は、《消光♯12h》においても渦巻く。そう、静謐な世界の中にも、内田の新作には従来から持ちえている動きのフォルムがある。

fig.3 内田あぐり《消光♯12h》 提供:内田あぐり

その動きの速さが問題なのではない。在り方の変化が重要なのだ。人間は自らの意志で動いているのではなく、あらゆる関係性の中で動かされているに過ぎない。それは神への回帰などでは決してなく、人間が人間である最低限の条件であるのだ。だから当然、個々の意図は存在する。しかしその意図は、決して実現することはない。実現しない行動であるからこそ、本能や情感を超えた、計り知れない鼓動が連動する。内田の新作二点は、このような実現しない行動の所作が描かれている。動く/動かない、動かない/止まらないという対立次元で論考するのではなく、一元論で、人間が動き続けることが大切なのである。すれば、精神と肉体という二元論から解放され、人間は自らの心拍をどのように動かしているかという根底に辿り着くことができる。

fig.4 内田あぐり個展 “愛に関する十九のことば”展示風景 提供:内田あぐり

《緑の思想》と《消光♯12h》という大作二点に挟まれるように身を置く。すると、絵が動き出すのではなく、確かに自分が生きている状態にあることを確認することができる。絵画が動くように見えるのは、我々の視線が生きているから実現する。かといって、絵画もまた生きている。挟まれた一面しか見ることができずに、もう一面の絵画に私は見られているのだ。振り返ると停止する。もう一度振り返っても動き出すことはない。しかし、この行為を繰り返すと、磁場が反転し、私が私である理由などという些細な事項から解放される。私は動き、絵画が動き、会場が動き、天体は回り続けている。これが停止するのが単なる死であると考えることができない。死とはそれ程単純ではない。生もまた、そうはいかない。どのような想像力を携え、我々はこれからの地獄の季節へ向かうべきか。

2015年12月7日月曜日

レビュー|Liquid Pop: pop and abstraction フランシス真悟・Jimi Gleason・Joe Goode

展覧会名|Liquid Pop: pop and abstraction フランシス真悟・Jimi Gleason・Joe Goode
会期|2013年 1月11日(金)~ 2月16日(土)
会場|KOKI ARTS


執筆者|宮田 徹也



fig.1 ジョー・グード展示風景 提供:KOKI ARTS

会場であるKOKI ARTSは国内外の優れた作品を独自の企画で展覧している。「Liquid Pop: pop and abstraction」もその一つで、カルフォルニアの世代の異なる三者による時間軸の曲線を描いた。それは特にジョー・グードである。フランシス真悟・Jimi Gleasonの作品も当然優れていたのだが、ここでは展覧会の意図とは別に、ジョー・グードの作品を考えてみたい。

KOKI ARTSのwebによると、ジョー・グード「1960年代初頭にロサンゼルスでアートの世界の先駆者となった一人である」(http://www.kokiarts.com/exhibitions/2013/liquid-pop/)。60年代のロサンゼルスといえば「ロサンゼルス・ルック」と呼ばれる工業素材を用いた立体作品が美術史で知られているが、ポップアートも盛んであったという意見もある。

fig.2 ジョー・グード出展作品 提供:KOKI ARTS

ここに並ぶジョーの作品に目を投じると、2010年に制作したサインを確認することができる。発展史観に陥りがちな美術からの見解から逃れれば、現代美術の本質「いま、ここ」が連続していることが窺える。それは躍起になって「新しい作品」を生み出そうとする」作家にも当て嵌まる。自己のテーマを果てしなく追求することの意義を見詰めなおすべきである。

fig.3 ジョー・グード出展作品 提供:KOKI ARTS

それだけではない。ジョーはポップアートを深化しているのだ。まず注目すべきは描かれている牛乳瓶であろう。A・ウォーホルを模倣するのではなくパロディーにするのでもなく、ポップアートが主題とした本質である「日頃目にするモノ」の主題を続けることに、翻ってこの牛乳瓶が背負う時代と時間が永続するのだ。

次に目に映ってくるのは、牛乳瓶を覆う、または彩る色彩である。牛乳瓶の存在を際立たせているのか、隠しているのか。そのどちらかが問題なのではない。重要なのは、存在とは単一で有ることは不可能であり、何かしらの関連性に従属する点を教えてくれる。それは日本の蒔絵の技法すらも参照にしているのであろう。アメリカ抽象表現主義にも見られない発想であろう。

そして私が特筆したいのは、作品のサイズの小ささである。この小さな画面の中に、日常があり、日常とは連続することよって歴史にならず、常に過去か未来に進んでいることが理解される。それは徹底的に日常のみに回帰している。この特定の場所が地域、アメリカ、世界と広がってしまうのであれば、その本質は歪められ、制作の意図が変化してしまう。

ジョーは工業素材、巨大化、複製化というポップアートのお約束を突き破り、ポップアートという名の美術の根底に辿り着こうとしているのだ。このほどの優れた作品が、日本で全く紹介されていない動向に疑問を呈するべきであろう。海外の流行をミーハーに追い続け、消費してしまう姿は自国の現代美術に対する態度に直結する。現代美術は商品ではない。思想なのだ。

ジョーの作品と触れ合うことにより、ポップアートの意義と真髄に対して考察する機会に恵まれる。同時に、我はこのような機運を逃してはならないことも教えてくれる。著名なアーティストばかりに目を向けていると、作品の本質に何時になっても到達しない。目の前にいる優れた作品から学ぶことは沢山ある。「いま、ここ」の今とは目の前の世界であり、ここであることを忘れてはならない。

2015年12月5日土曜日

レビュー|吉田卓史展

展覧会名|吉田卓史展
会期|2012年 12月10日(月)~ 2月19日(水)
会場|ギャラリーSHIMIZU


執筆者|宮田 徹也




fig.1 2012年吉田卓史展展示風景 提供:ギャラリーSHIMIZU

久々に力のある作品に巡り会った。吉田 卓史(ヨシダ タカシ)は1979年和歌山生まれ、東洋美術学校絵画科卒業。東京・神楽坂等で個展活動しながら、2006年にプラハ、2008年、2012年にはマドリードへ。いずれもデッサンの勉強で渡欧であると、ギャラリーSHIMIZUの方から教わった。

fig.2 2012年吉田卓史展展示風景 提供:ギャラリーSHIMIZU

吉田はこの展覧会に大小15点を出展したが、圧巻なのは1510×1680mmの大型作品群である。強大な画面に顔だけが描かれている。それぞれディフォルメされるのでもリアリズムを突き詰めるのでもなく、独自の様相を呈している。その筆跡が速い速度を物語る。ニューペインティングからマルレーヌ・デュマス、果てはストリート絵画を想起するが、何れにも当て嵌まらない。


fig.3 2012年吉田卓史展展示風景 提供:ギャラリーSHIMIZU

当て嵌まらないのは速い速度の筆跡だけではない。独特な色彩感覚に満ち溢れている。この色彩により、作品は更なる特殊性が強調される。色彩が強い作品とはモノクロームにすると濃淡が明確になり、作家が構築しようとする世界の意図を垣間見ることができる。しかし吉田にこの方法は通用しない。この色でなければならないのに、この色でなくともよい性質を持つ。

私は色を入れ替えても作品が通用することを知らせたいのではなく、それ程描かれる色彩そのものが見たことの無い光を放っている点に注目している。それを単純にスペインの輝きであると還元することはできない。スペイン在住の多くの作家に共通する発想を、吉田は携えていないからだ。吉田はスペインと日本を往復して、自己の色彩に辿り着いたのであろう。

fig.4 2012年吉田卓史展展示風景 提供:ギャラリーSHIMIZU

吉田はデッサンの勉強のため、スペインに渡っている。会場にはデッサンが入ったファイルが幾つも置かれてあった。その一つ一つのデッサンにも、それぞれの魅力が沸き立っていた。しかし吉田は繰り返すデッサンをそのまま大作に反映させていない。描くためのデッサンではなく、人間の存在を確認するためのデッサンであることは、一目瞭然なのである。

それならなぜ吉田はデッサンをし、大作を描くのか。すると吉田の作品群が、従来の日本の美術の定義に沿わなくなる。それが吉田の魅力である。日本の根底に流れている暗黙の了解である美術作品の定義など、何の根拠も存在しない。それは翻れば他国には通用しないのだ。

吉田はあらゆる派閥や団体に属さず、自らの力で自らの方法を探っている。このような当たり前の行動こそが、現代美術なのではないだろうか。不思議なことに、吉田が描く顔に吉田の自画像は含まれていない。あくまで、個人のパーソナルが描かれている。それは、吉田がイコンを描こうとしていない点にあるのかも知れない。

普遍的なイコンでも、個人的な肖像画でもない、絵画の有り様。吉田はこのサイズで描き続ける必要がある。それが吉田の特質といなっているからである。この作品群が何百も並ぶその先に、自画像ではない吉田の本質が立ち昇っていく筈だ。無論、これは私の発想であり、吉田は自分がやりたいようにすればいい。私の文章を読んだ者達も、好きに発言すればいいのだ。

2015年12月3日木曜日

レビュー|絹に描く 斉藤典彦展

展覧会名|絹に描く 斉藤典彦展
会期|2012年 3月17日(土)~ 4月1日(日)
会場|数寄和


執筆者|宮田 徹也




fig.1 齋藤典彦展展示風景 提供:数奇和

斉藤典彦(1957-)と言えば、美術館からデパートの美術画廊までもこなし、国内外で活躍する日本画の作家であることは良く知られている。古典的技法と視線を携えながらも、抽象/具象と言う外来の定義に当て嵌まらない、独自の作品を描き続けてきている。斉藤は臆することなく、自らの作品を日本画であると定義する。その活動は近年、更に活発になっているのではないだろうか。そのような斉藤の展覧会の中で、特に忘れられないのがこの数奇和での個展である。

斉藤は次の作品を出品した。(作品名/号数/形状/画寸(縦×横mm))。《蒼山》(30/額装604×907)、《春山》(100/パネル/2100×900)、《夏山》(100/パネル/2100×900)、《雨山》(100/パネル/2100×900)、《冬山》(100/パネル/2100×900)、《庭-フクシア》(50/パネル/1500×600)、《夜の庭》(0/額装/179×139)、《百合》(0/額装/179×139)、《月夜》(0/額装/179×139)、《松山》(SM/額装/227×158)《雪山》(SM/額装/227×158)、《昏山》(4/額装/242×333)。

fig.2 齋藤典彦展展示風景 左から《雨山》《夏山》《冬山》提供:数奇和

fig.3 齋藤典彦展展示風景 《春山》 提供:数奇和

私が驚愕したのは縦長四枚の《春山》、《夏山》、《雨山》、《冬山》であった。それぞれ画面中央よりも僅かに下からなだらかに分断され、天と地のような異なる世界が描かれているようにも、地続きになっているようにも見える。圧巻なのはそのサイズで、作品の前に立つとすっぽりと体が包み込まれ、作品の中へ吸い込まれているような気がしたとしても境界線である縁がそれを許さない。日本画を語る際によく言われる「生活の美」とは、このように実現されることが可能であることを教えてくれる。

そのため、この作品はこれ以上大きくも小さくもなることができない。作品の前で体感する最適度の大きさであり内容だったのである。最も美しい秋がなく、雨が降り頻る梅雨の季節を描く発想も美しい。生暖かい雨に打たれると、陽気な春から厳しい夏を迎える覚悟を我々は無意識に行っているのではないだろうか。四季の美しさが日本の特徴ではなく、四季に意味を見出すことに意義が誕生してくる。狭い国土と言えども場所が変われば感覚も異なる。しかし共通した四季を斉藤は見事に描いたのであった。

fig.4 齋藤典彦展展示風景 提供:数奇和

今回、斉藤が絹本を使用したことにも、作品の変化に大きな意味があったのではないだろうか。絹本を使用すると、大概の場合、肌理細やかで豪奢な印象を与える。斉藤の場合はそれがない。その代わりに、斉藤が持ち得る日本画の思想が充分に発揮され、和紙という繊維ではなく布という織物の隅々にまで絵具が乗り、侵食し、一体化する作品となったのである。その作品は大胆で質素な側面を強調しつつも、日本画が持つ本来の繊細さと柔らかさを保持するのである。

fig.5 齋藤典彦展展示風景 提供:数奇和

私が訪れたのは、初春の冷たい雨の日だったことをよく記憶している。斉藤の作品を大きな窓がある数奇和で、自然光で見たいと望んでいた。しかし、降り頻る雨の中にも自然光は良く届き、斉藤の作品は内部から光を放っていた。電灯も高速移動も何もない時代の寺院に佇んでいる気がした。現代美術の「いま、ここ」の連続は、斉藤の作品の中にも込められている。日本画とは何かという議論以前の、日本画であるという斉藤の主張は、どの国の人間も、その固定観念を取り除けば理解できるはずなのである。