2014年4月23日水曜日

レビュー|アーティストin湘南Ⅱ 髙良眞木・内田あぐり・石井礼子

展覧会名|アーティストin湘南Ⅱ 髙良眞木・内田あぐり・石井礼子
会期|2011917()1127()

会場|平塚市美術館


執筆者|宮田 徹也




fig.1 内田あぐり 平塚市美術館展示風景 提供:内田あぐり

平塚市美術館は開館20周年を記念した「アーティストin湘南」を2011年に三度行った。一回目は工藤甲人、伊藤彬、中野嘉之、山本直彰、斉藤典彦(2011722日~911日)、三回目は鳥海鳥海(122日~25日)であった。美術館が位置する湘南にゆかりのある物故、現存のアーティストの作品を展示することは、大変意義があると思う。ここでは第二回目の、特に内田あぐり、それも1015日に行われた舞踏者、大竹宥熙とのコラボレーションについて言及する。

内田あぐりは1949年東京都港区生まれ、1975年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻日本画コース修了。修了制作優秀賞受賞、創画展で創画会賞受賞(同87年,97年)。1993年文化庁在外研修員として渡仏、山種美術館賞展で大賞受賞。1999年「現代日本絵画の展望展」でステーションギャラリー賞受賞。2002年、第1回東山魁夷記念日経日本画大賞を受賞する(参照:内田あぐりWeb http://www.aguriuchida.com/)。

fig.2 内田あぐり 平塚市美術館展示風景 提供:内田あぐり

この展覧会に内田は、《わたしの前にいる、目を閉じている》(2007年、240×240cm、彩色・紙)、《わたしの前にいる、目を閉じている#09T》(2009年、222×720cm、彩色・紙)、《消光》(2010年、220×720cm)、《吊るされた男#01K》(2001-2011年、240×480cm、彩色・紙)という大作で平塚市美術館の一室を埋めたが、一面に展示したデッサン35枚が、内田の仕事を綿密に物語っている。このコラボレーションは内田のWebに残されていないが、同日のワークショップに大竹がデッサン・モデルとして招かれていた。

大竹宥熙は1950年生まれ、69年、劇団天井桟敷「カリガリ博士の犯罪」に出演。71年、天使館入館、「霊的な兄」である笠井叡に師事。半年後に退館し独自の公演活動に入る(参照:「ダンスワーク」37号)。今日では北辰舞踏(北辰の会)として、舞踏会場の殿堂テルプシコールなどで作品を精力的に発表している。近年の公演は二時間近く踊り、G・マーラー、災害の鎮魂などをテーマとしている。内田のデッサン・モデルを長く務めているが、意外なことに作品と舞踏のコラボレーションは、今回が初めてだという。

fig.3 内田あぐり+大竹宥熙 提供:内田あぐり

美術館展示室にM・デイビスが75年に東京で行われたライブが流れると、途端に舞踏会場でもない全く異なる空間に変貌する。強い照明の中、大竹が登場しソロで身を揺るがす。視線を大竹の舞踏と内田の絵画に合わせると、舞踏が絵画に埋没し、絵画が舞踏に引き寄せられ、立体化する。互いに侵食し、彼岸と此岸を往復する。それよりも重要だったのは、絵画にも舞踏にも視点を絞らないことにあった。不可視な空間こそに、このコラボレーションの意義を見出すことができた。芸術とは目には見えないのだ。

fig.4 内田あぐり+大竹宥熙 提供:内田あぐり

内田の巨大な画面は日本画と呼ばれているが、様々な和紙を貼り合わせたり縫い合わせたりして、複雑な画面を構築している。描かれているモチーフも動作が綿密に盛り込まれているので、読解が不可能である。それでも日本画である所以は、デッサンに見られるように、描く姿勢が支えている。大竹もまたおどろおどろしい悪魔の舞踏のイメージはなく、むしろ太陽神のように光り輝いている。それでも大野一雄のように発光し続けないのは、やはり大竹が太陽の沈黙である闇を同時に背負っているからであろう。

fig.5 内田あぐり+大竹宥熙 提供:内田あぐり

一時間程度の公演だっただろうか、記憶にない。それほどまでに、空間が時間を凌駕した。しかし30年来、内田の作品のモデルを、すべてではないにしろ大竹が担ってきたとすれば、だからこそ、舞踏と作品は空間を凌駕し時間の果てまで行き着いたのかも知れない。議論を内田の作品に集中させれば、内田の作品とは動いている状態を描写しているという当たり前の発想が、この公演を見て、私はやっと実感できたのであった。それが、湘南の、この地であったことに、何かの意味を見出さずにはいられないのは当然である。 その意味とは、当然のことながら、近代に分別されてしまった永遠に残る美術と、一過性の儚い身体表現という枠の破壊である。

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