2013年12月21日土曜日

レビュー|松井紫朗―亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法―

展覧会名|松井紫朗―亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法―
会期|2011611日(土) ~ 828日(日)
会場|豊田市美術館


執筆者|宮田 徹也


fig.1 松井紫朗《Cave》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

関東に住む私にとって、主に関西で活躍すると考えていた松井紫朗は馴染みが薄かった。しかしこの展覧会に触れることによって、松井が関西ではなく世界どころか宇宙にまで活動している現実を知り、自己の小ささを鼻で笑ったものだ。50を過ぎたばかりの松井は「回顧展」としては早すぎる。その点を美術館担当者の都筑正敏は充分に理解している。「今回、松井が掲げた展覧会タイトルは「What the Tortoise Said to Achilles (カメがアキレスに言ったこと)」。「アキレスとカメ」といえば、古代ギリシアの思索者ゼノンが創案したパラドクスがよく知られているが、まずはこれに倣って、カメとしての松井紫朗の歩みを、アキレスとしての筆者が、全速力で追いかけることから始めよう」。「いずれにせよ、松井紫朗という名の芸術家は、これからも走り続けるのである」(同展カタログ)。

それでもこの展覧会は、松井の活動の軌跡に沿っている。「本展では、上述したGallery1における新作の発表にあわせて、松井のデビューから今日までの活動の中から、主要な作品をセレクトして展示をおこなった。松井がこれまでに発表した作品数の一割にも満たない今回の出品作品によって、この作家の全体像を捉えることは当然のことながら無理があるだろう。とはいえ本展では、作家自身が作品と作品との関係、各展示室の繋がりを熟慮した作品選定と展示を行うことで、Gallery1からGallery4まで、さらにはまたGallery1の入口へと循環する(あたかもメビウスの帯のような)展示構成を実現することができた。こうした作家側からのアプローチと鑑賞者の積極的なまなざしが相互に共鳴することで、松井の一貫した造形思考が浮かび上がり、それをきっかけとして、観客のさらなる知覚のひろがりを、想像力を喚起することが可能となるにちがいない」(同上)。

fig.2 松井紫朗《Message in a Bottle》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

fig.3 松井紫朗《Aqua-Lung Mountain》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

fig.4 松井紫朗《君の天井は僕の床》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

このように都筑が記したとおり、まず、作品は年代ごとに展示されているにも拘らず、旧作新作の区別がつかない。これは松井の作品が一貫した思想を持つことを示すと共に、松井が時代や場所に影響されず、自己の主張と探求に従事していることを表している。ポストもの派、関西ニューウェーヴ、ベルリンの壁崩壊後のドイツなど、松井を探るキーワードは幾つもあるのだが、松井はその総てを潜り抜けて松井紫朗個人であることに立脚する。次に、展覧会場が循環すると共に、作品も循環している。《Cave》(2011年)は展示室を楽々と乗り越え、部屋を繋ぐ回廊を行き来する。この作品を辿ると、自ずと辿る者の思考が緩やかに心地よく混乱していくのだ。この混乱を体に宿したまま、宇宙を目指す《Message in a Bottle》(2010年)や金魚が泳ぐ《Aqua-Lung Mountain》(2005年)へ眼を投じると、ミクロの世界がマクロの拡がりを携えてくる。そしてGallery1の巨大な《君の天井は僕の床》(2011年)に再び潜り込むと、自己が存在することの限りない儚さと勇気を感じるのだ。芸術は人間を再生し、更新する。

fig.5 松井紫朗《Capital-P》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

木、真鍮、粘土、銅、ガラス、アルミニウム、ブロンズ、鉄、ステンレスなど、彫刻家として松井が格闘してきた素材を用いた作品群はフォルム/コンセプト/視覚作用といった近代の問題と同時に、土台/素材/重力という現代美術における彫刻の課題に対して、明確な答を引き出そうとしている。特に眼を引くのは、シリコンラバーを用いた作品群である。《Capital-P》(1995年)は床に寝そべりながらも作品の凡そ半分は壁に凭れかかっている。自然界には存在しない艶のある黄色と250×380×170cmという大きさが、巨大過ぎず小さすぎず、作品の異様さを強調する。このラバーのみを素材としている作品は、実は「古典的な彫刻の鋳造法と同じ型抜きで制作されている」(同上)というから驚きだが、だからこそ強靭な彫刻として成り立っていることが頷ける。

現代美術は過去のあらゆる権威をその玉座ごと吹き飛ばし、人間が誕生するその場に立ち会うことを主眼としている面があるが、この展覧会に出品された松井の作品23点を見ると、近代と現代の拮抗を軽々と凌駕し、人類の叡智を引き継ぎながらも更新を続ける姿を確認することが出来るのである。それは個々の作品の存在もあるが、展示の方法、展覧会のあり方にも由来を発見することが出来るのであろう。私もまた、松井が走り続ける姿に出来るだけ立ち会いたいと強く願った。



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