2013年12月25日水曜日

レビュー|関谷あゆみ展

展覧会名|関谷あゆみ展
会期|201181日(月)~6日(土)
会場|ギャラリー檜BC


執筆者|宮田 徹也


fig.1 関谷あゆみ展 展示風景

関谷あゆみは1988年生まれ、横浜デザイン学院でデザインを沼田皓二、写真を本橋松二、イラストを伊川英雄に学ぶ。卒業後、鎌倉・日本画塾で間島秀徳、小滝雅道、山田昌宏の教訓を受け、2010年になびす画廊で初個展、その後個展は毎年、様々なグループ展に参加している、気鋭の新人アーティストである。

fig.2 関谷あゆみ展 展示風景
このような略歴が示すとおり関谷はデザインの一専門学校から突然、博士課程をも凌駕するとされる日本画塾で学んでいるので、本格的なテクニックを身につけているにも関わらず、あらゆる学閥や師弟関係、画壇に属さず、本来の意味で自らのイメージを忠実に表そうと努力している。

fig.3 関谷あゆみ展 展示風景

関谷は今回、ギャラリー檜の二つの大きなスペースを、12点の作品で埋めた。驚くべきはまず、10.5×10.5cmの小品から700×170cmに至る《道》という、あらゆるサイズを自由に往来できることである。次に、デザインと日本画を体現しているため、カラーインク、アクリルから岩絵具、膠、更にペンキに至るまで、自己の体に入っている素材を物怖じなく止揚している点にある。

fig.4 関谷あゆみ展 展示風景

そして、会場に入って感じたことでもあるのだが、描かれている世界観が余にも独自で他に例をみないのである。深刻な抽象画でも、気楽な落書きでもない。しかし細部を辿ると、真摯な日本画でもあり、楽しいライブ・ペインティング要素が含まれている。どちらでもあり、どちらでもないのだ。主義主張を標榜する前の、描くことの根底がここにあるのではないだろうか。

fig.5 関谷あゆみ《花》

それは、巨大な作品から小品に至るまでの、関谷の筆致に注目すると良く分かる。大作は、前衛書家やアンフォルメルの画家達のような力強い線とは異なる表情を浮かべている。小品は繊細で在り続けていない。むしろ、ある種の確信に満ち溢れているのではないかと想像する。

自己のイメージを、画面を通じてあらゆる素材を用い、躊躇することなく向き合っているのである。大きな作品に気負いがなく、小さい作品に手抜きをしない。関谷にとって、画面の大きさや素材など全く問題になっていないのだ。当然のことながら、そういったイメージの具現化がまだまだ足りない。しかし、見たことのない筆致にこれ以上のない価値観が誕生するのだ。

独自の色彩感、ゲシュタルトを反転しても成立する形、何者にも囚われない発想。アーティストやデザイナーは、どうしても欲が出てしまう。関谷はその欲を始めから携えず、画家として最も必要な宝を胸に秘めている。それが最も大切なことなのだ。プロとアマの違いは、金を稼げることではない。最も大切なことを知っているか知らないかに掛かっている。


関谷は画家として自立を始めた。これからもこれまで以上に臆せず、次々と作品を制作し、発表して欲しい。また、関谷のような特別な経験がなくとも、関谷と同様に自由な作品を制作する機運があるデザイナー、アーティストも存在するだろうし、これから画家を目指す者達にとっても、関谷同様に、自らのイメージに真摯に、忠実に向き合って欲しいと願う。

2013年12月24日火曜日

レビュー|小堀令子展―The Net―

展覧会名|小堀令子展―The Net
会期|2011714日(木)~20日(水)
会場|ギャラリー絵夢


執筆者|宮田 徹也


fig.1 小堀令子展 展示風景

小堀令子は1970年武蔵野美術大学を卒業し、1995年から毎年お茶の水画廊で個展を開催、1998、1999年には从展に参加、近年は立軌展に参加しながら個展を開催している。小山田二郎、瀬木慎一らの所謂近代美術の思いを深く受け止め、探求している稀有な作家である。政治的意識も深く、ノーウォー美術家の集い横浜にも参加、世の中の動向に対して美術が果たすべき役割を担っている。

fig.2 小堀令子展 展示風景
震災以後、影響のある/ない美術家に二分された感がある。小堀は影響がありながらも筆を留めず、製作を続けて個展を開催した。小堀はこの展覧会に30点の作品を出品した。サイズは0号から130号まで、油彩、水彩、ペン、ガッシュを用い、自らが探求する「ネット」の世界を描き切った。小堀はネット以外にも人物、風景の具象も得意とするが、この会は見送ったようだ。それは震災に対して具体的なことが描けなかったのではないだろう。それほどまでに、ネットを描く画面は迫力に満ちていた。

fig.3 小堀令子展 展示風景

会場に入ってまず驚いたことは、これほどまでに多彩な技法で、様々なイメージを実現していることであった。私は小堀の作品は小品が並んでいる展覧会、若しくは大型の作品を1点のみ展示している立軌展でしか触れ合ったことがなかったので、ギャラリー絵夢の広いスペースを余裕で埋め尽くしていることに驚嘆したのであった。油彩なら油彩、墨なら墨のテクニックを駆使して、相当にレヴェルの高い作品が並んでいる。

fig.4 小堀令子展 展示風景
小堀は震災に対して恐れを感じたと話したが、細部の細部まで綿密に描き込み続ける小堀の気迫に私は怯む。ここには様々な想像力、創造性、失われていく情景が練り込まれている。手前にある網の目状の世界の奥には、複雑な個人と全体の世界の関係性が隠されているのだ。それは丁度日常を暮らす意識の壁を突破して無常な無意識の世界に到達するように、抽象と具象の定義が崩壊し、我々が生きている意味と意義が画面の奥から問いかけられてくる。

fig.5 小堀令子展 展示風景
作品の展示方法も、まるで十字架か父と子と精霊、若しくは釈迦三尊、竜虎図と観音像のような配置に思えてくる。この空間には祈りすらも内在化されている。その祈りに救いがあるかないかは問題ではない。祈ること、その行為自体が大切なのだ。何を祈るのかを問う必要もない。本当の実力者は自分一人で生きていて、周りを顧みることが出来ないことなどしない。小堀の作品にあるような祈りから、芸術は人間の本質を豊かにしていくのである。

小堀はこの後も、旺盛に活動を続けている。20139月には横浜ギャルリーパリで、12月には新宿・ギャラリー絵夢で連続個展を開催する。横浜はモノクロームの世界観であり、新宿では色彩豊かな作品を展示する予定であると小堀は言う。地道に「絵を描く」という仕事は、容易に見えて簡単なことではない。それでなくとも海外の動向や国内でも派手な展示が注目されてしまうが、小堀のような真の実力者を追い続けていきたい。

2013年12月23日月曜日

レビュー|藤井雷「Hear nature for a while.」 

展覧会名|藤井雷「Hear nature for a while.」 
会期|2011618日(土)~72日(土)
会場|アートギャラリー閑々居


執筆者|宮田 徹也


fig.1藤井雷展 展示風景 撮影:飯村昭彦

藤井雷は1981年東京生まれ、横浜に育ち、2000年に武蔵野美術大学入学、02年に休学し奄美大島、沖縄を経て、台湾へ。故宮博物館に通い古画を研究する。04年に大学を中退し、「日本×画 にほん×ガテン!」(横浜美術館/06年)に120mに亘る《絵手紙》を出品、07年大佛次郎館、08年アートギャラリー閑々居で個展、09年は韓国仁川美術館招聘留学、その成果を横浜と閑々居で発表、11年には韓国 Seoul Art Space-Geumcheon Seoul市に招聘され、3ヶ月滞在し制作をする。このアートギャラリー閑々居での展覧会は、Seoul個展出品作であった。

fig.2 藤井雷展 展示風景 撮影:飯村昭彦

主に150×210cmの大型の作品が、閑々居の壁面を埋め尽くす。それまでの藤井の作品は、ユーモラスな文人画的要素を保つ人物や禽獣、風景であったと記憶する。横浜美術館の際も、その後の閑々居でも、墨をたっぷりと使った太い線によって描かれる対象は、日本画の主題というよりもむしろ、本当の意味での今日のキャラクターを描いているのではないだろうかと感じるほどに、時代を捉える日本画の作法を以ていた。ところがこの展覧会ではその要素は消え、果てしなくリアリズムでありながらも長大な時空を超えた、さ迷える風景を描いてきたのだ。

fig.3藤井雷展 展示風景 撮影:飯村昭彦

それはそれまでの日本画の顔料と和紙から、色墨と韓紙と画材が変化したことだけに由来するのではあるまい。元々東洋の絵画を探求していた藤井にとって、これら韓国の顔料は決して簡単ではないが直ぐにこなすことは可能であったのだろう。しかし、こなれた自らの技法に対して新たな探求をする謙虚な姿勢は、画面から直ぐに窺うことが出来る。また、描いた世界観が、何とも言えない独自性を保っている。山水として日本画/中国画的に仕上げることは容易にできたのであろう。しかし藤井の描く世界は、日本でも中国でも韓国でもない、謂わば東アジアが持つ特徴を示していると解釈することが出来る。

思えば日本画という定義事態が思い上がりである。日本でしか通じない概念であり、日本がアジアの中心であり、さもアジアが日本の属国であるような錯覚に見舞われる。日本画とは何かという議論は果てしなく続いている。その中で藤井は、日本画ではなく東アジアの絵画を描くことによってこの課題をあっさりと乗り越えた。では東アジアもオリエンタリズムでヨーロッパに於いて定義された、ナショナルな視点であろうと指摘されれば、私は当然の如くそうであろうと答える。それでいいのではないかと答える。

fig.4 藤井雷《Mt.Seorak in a snow》韓紙・墨、1500x2100mm 撮影:飯村昭彦

なぜなら藤井は自らのルートを探り、この作品に行き着いたことに由来する。藤井がそうであるならば誰がどのように定義したのかは問題とならない。藤井の作品に東アジアの発想と風景が描かれている。それを「血」であるとか「風土」、「趣」で説明すると、たちまち明治時代のファシズムに回帰してしまう。しかしこの三つの要素が不可欠であることは確かなことだ。三遠に拘らず蛙眼の視線、西洋遠近法では説明できない藤井の視線は、藤井個人と時代性を乗り越えて、今、我々が必要とし、忘れていた身近な眼差しなのである。

fig.5 藤井雷《The memory of Damyang》韓紙・墨・色墨、1500×2100mm


藤井は現在、カナダで制作を行っている。近作は知らない。そこにこのような東アジアの視線が失われていても、私は当然のことながら、いいのではないかと思う。藤井が自らの目が未開な状態であることを自覚し、新たな視線を獲得しようと努力しているのであれば、それ以上のことはない。そこには常にナショナルな眼差しも、歴史を捏造しようとする発想も必ず含まれて居ない。そして、常に藤井は藤井であるために藤井であることを止める。そこに藤井の絵画と現代の問題が焙り出されてくるのだ。日本画であること、日本人であること、もう「であること」を藤井のように止めよう。そして、自らでなくて自らであることを探す必要が今、求められている。

2013年12月22日日曜日

レビュー|母袋俊也展「Qf・SHOH《掌》90・Holz 現出の場-浮かぶ像-膜状性」

展覧会名|母袋俊也展「Qf・SHOH《掌》90・Holz 現出の場-浮かぶ像-膜状性
会期|2011613日(月)~25日(土)
会場|ギャラリーなつか


執筆者|宮田 徹也


fig.1 母袋俊也展 展示風景 提供:ギャラリーなつか 撮影:末正真礼生

母袋俊也は「絵画とは何か」をこれまでも、これからも考え続ける。その中間報告を『母袋俊也 絵画 マトリックス 1987-2010 M1-M431』(東京造形大学[研究報]/2011)としてまとめた。この展覧会を、また新たな母袋の始まりと定義付けることが出来る。しかし、3.11が起きた。母袋が会期中に配布した「〈Qf-SHOH 《掌》 90Holz現出の場―浮ぶ像―膜状性〉展に寄せて」を、引用する。

「3カ月が過ぎた。/(中略・引用者)僕は何の躊躇もなく受け入れた9.11とは異なり、311日を3.11とは呼べないでいる。/その日以来、その日を契機にそれぞれの専門性は、厳しくその根本と胆力を問われている。そんな中、圧倒的な現実を前に、聖顔布を起源の一つとする絵画もまたその使命が問われている。/そもそも、その絵画は観者にとってどのようなものとして対象化され、どこに現れているものなのだろうか。/今展では画廊内に黒く塗装された仮設壁を設営、僕が絵画の特質と考える“膜状性”とその“像”、そしてその“現出する場”の現前化を試みます。(以下略・引用者)」

3.11が一つの機運となった展覧会であり、芸術の根底が問われる中で、母袋の仕事の可能性が問われていることを、母袋は自ら問う。仮設壁に展示=浮んでいる作品は《M432 Qf-SHOH 《掌》 90Holz 1》であり、通路となる壁面にはこの作品のプランドローイングplandrawing・draft》が展示されている。入って右側の通路の奥には《Quadrafull《掌》24 WC-1》が、奥のオフィスには《Quadrafull《掌》20 WC-1》、《Quadrafull 25 WC-13》、《Quadrafull 25 WC-14》、《Quadrafull 25 WC-17》が展示されている。《Quadrafull》シリーズは5点ともシートである。ここでは特に、浮ぶインスタレーションについて言及する。

 fig.2 母袋俊也展 展示風景 提供:ギャラリーなつか 撮影:末正真礼生

母袋は自己のアトリエで画廊の見取り図を元に黒い部屋を作成したと言う。いつものなつかとは全く異なる空間に驚愕した。黒い部屋の入口に立つと、《M432 Qf・SHOH《掌》90・Holz1》が正に浮んで見える。この部屋の外側左側面には穴が開いており、そこから作品を垣間見ることも可能だ。しかしM・デュシャンの《遺作》と決定的に異なる点は、この穴は一つであることだけではなく、正面から見た後にここから見ることによって、母袋の意図が強調される、謂わば補足的役割を持っている点にある。

fig.3《M432 Qf-SHOH 《掌》 90・Holz 1》 提供:ギャラリーなつか 撮影:末正真礼生

普段私達は何気なく絵画に接しているが、実は複雑な工程を経て、様々なことを考慮に入れながら作品と向き合っている。その過程を顕わにするのが、今回のインスタレーションの役割であると言えるだろう。DMに記されている情報がそれを物語っている。絵画とは実体が存在するリアルな現実世界と、精神であり虚でもあるもう一つの世界との間に位置する。我々の視線はもう一つの世界からやってくる光を捕獲する。その光とは、実はもう一つの世界からの視線なのだ。そこには重力も深く関与する。

fig.4 母袋俊也展 DM

それは、《M432 Qf・SHOH《掌》90・Holz1》そのものの構造にも秘められている。《M432 Qf・SHOH《掌》90・Holz1》は単なる聖母像ではない。西洋の聖母像を司る根底の形を問い、東洋の印相から溢れる光の意義を問い、これまでの宗教が培ってきた色彩の謎を解こうとしている。《M432 Qf・SHOH《掌》90・Holz1》は、やはりこのインスタレーションの中で見なければその真意が伝わりにくい。しかしそれは作品を前に雑念が生じていることでもある。絵画における空間の内在はこれまでも行ってきたのであろうが、それがまた母袋のこれからの追究の場でもあるのではないだろうか。


母袋俊也:ギャラリーなつか-銀座:http://homepage2.nifty.com/gallery-natsuka/natsuka/artist%20contents/motai_toshiya/motai_toshiya11.html
【展覧会】「母袋俊也 Qf・SHOH《掌》90・ Holz 現出の場-浮かぶ像-膜状性」 展 : 母袋俊也 Official Web Site / News:http://tmotai.exblog.jp/15676183/

母袋俊也/Toshiya Motai/Official Website:http://www.toshiya-motai.com/

2013年12月21日土曜日

レビュー|松井紫朗―亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法―

展覧会名|松井紫朗―亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法―
会期|2011611日(土) ~ 828日(日)
会場|豊田市美術館


執筆者|宮田 徹也


fig.1 松井紫朗《Cave》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

関東に住む私にとって、主に関西で活躍すると考えていた松井紫朗は馴染みが薄かった。しかしこの展覧会に触れることによって、松井が関西ではなく世界どころか宇宙にまで活動している現実を知り、自己の小ささを鼻で笑ったものだ。50を過ぎたばかりの松井は「回顧展」としては早すぎる。その点を美術館担当者の都筑正敏は充分に理解している。「今回、松井が掲げた展覧会タイトルは「What the Tortoise Said to Achilles (カメがアキレスに言ったこと)」。「アキレスとカメ」といえば、古代ギリシアの思索者ゼノンが創案したパラドクスがよく知られているが、まずはこれに倣って、カメとしての松井紫朗の歩みを、アキレスとしての筆者が、全速力で追いかけることから始めよう」。「いずれにせよ、松井紫朗という名の芸術家は、これからも走り続けるのである」(同展カタログ)。

それでもこの展覧会は、松井の活動の軌跡に沿っている。「本展では、上述したGallery1における新作の発表にあわせて、松井のデビューから今日までの活動の中から、主要な作品をセレクトして展示をおこなった。松井がこれまでに発表した作品数の一割にも満たない今回の出品作品によって、この作家の全体像を捉えることは当然のことながら無理があるだろう。とはいえ本展では、作家自身が作品と作品との関係、各展示室の繋がりを熟慮した作品選定と展示を行うことで、Gallery1からGallery4まで、さらにはまたGallery1の入口へと循環する(あたかもメビウスの帯のような)展示構成を実現することができた。こうした作家側からのアプローチと鑑賞者の積極的なまなざしが相互に共鳴することで、松井の一貫した造形思考が浮かび上がり、それをきっかけとして、観客のさらなる知覚のひろがりを、想像力を喚起することが可能となるにちがいない」(同上)。

fig.2 松井紫朗《Message in a Bottle》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

fig.3 松井紫朗《Aqua-Lung Mountain》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

fig.4 松井紫朗《君の天井は僕の床》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

このように都筑が記したとおり、まず、作品は年代ごとに展示されているにも拘らず、旧作新作の区別がつかない。これは松井の作品が一貫した思想を持つことを示すと共に、松井が時代や場所に影響されず、自己の主張と探求に従事していることを表している。ポストもの派、関西ニューウェーヴ、ベルリンの壁崩壊後のドイツなど、松井を探るキーワードは幾つもあるのだが、松井はその総てを潜り抜けて松井紫朗個人であることに立脚する。次に、展覧会場が循環すると共に、作品も循環している。《Cave》(2011年)は展示室を楽々と乗り越え、部屋を繋ぐ回廊を行き来する。この作品を辿ると、自ずと辿る者の思考が緩やかに心地よく混乱していくのだ。この混乱を体に宿したまま、宇宙を目指す《Message in a Bottle》(2010年)や金魚が泳ぐ《Aqua-Lung Mountain》(2005年)へ眼を投じると、ミクロの世界がマクロの拡がりを携えてくる。そしてGallery1の巨大な《君の天井は僕の床》(2011年)に再び潜り込むと、自己が存在することの限りない儚さと勇気を感じるのだ。芸術は人間を再生し、更新する。

fig.5 松井紫朗《Capital-P》 提供:豊田市美術館 撮影:山本糾

木、真鍮、粘土、銅、ガラス、アルミニウム、ブロンズ、鉄、ステンレスなど、彫刻家として松井が格闘してきた素材を用いた作品群はフォルム/コンセプト/視覚作用といった近代の問題と同時に、土台/素材/重力という現代美術における彫刻の課題に対して、明確な答を引き出そうとしている。特に眼を引くのは、シリコンラバーを用いた作品群である。《Capital-P》(1995年)は床に寝そべりながらも作品の凡そ半分は壁に凭れかかっている。自然界には存在しない艶のある黄色と250×380×170cmという大きさが、巨大過ぎず小さすぎず、作品の異様さを強調する。このラバーのみを素材としている作品は、実は「古典的な彫刻の鋳造法と同じ型抜きで制作されている」(同上)というから驚きだが、だからこそ強靭な彫刻として成り立っていることが頷ける。

現代美術は過去のあらゆる権威をその玉座ごと吹き飛ばし、人間が誕生するその場に立ち会うことを主眼としている面があるが、この展覧会に出品された松井の作品23点を見ると、近代と現代の拮抗を軽々と凌駕し、人類の叡智を引き継ぎながらも更新を続ける姿を確認することが出来るのである。それは個々の作品の存在もあるが、展示の方法、展覧会のあり方にも由来を発見することが出来るのであろう。私もまた、松井が走り続ける姿に出来るだけ立ち会いたいと強く願った。



2013年12月20日金曜日

レビュー|「加藤義郎展/ねじる」

展覧会名|「加藤義郎展/ねじる」
会期|2011523日(月)~28日(土) 
会場|ギャラリーGK


執筆者|宮田 徹也


fig.1 加藤義郎展 展示風景 提供:加藤義郎

加藤義郎は1939年横浜生まれ、独学で現代美術に到達し、1968年に村松画廊、翌年からは伝説のサトウ画廊で個展を繰り返したツワモノだ。タブローから水を用いた概念化され得ない芸術を追究、90年代から鍋、ヤカン、フライパンなどを平たくなるまで叩き潰す作品を発表してきた。スカイタワーを叩き潰して欲しいと要望したところ、極近年からこの個展のように木を捻るという恐るべき手法を獲得したと返事を戴いた。加藤はビデオ作品も制作している。詳細はWebで。(http://www5c.biglobe.ne.jp/~kanazuch/

当然、木が捻られたように削られているのではあるが、本当に捻ったのではないかと驚愕するほどのクオリティを作品は保っている。この作品群は「驚愕すること」に意義がある。加藤は単に人を驚かそうとするイミテーションアートや掘り起こせばオプティカルアート、シュミレーションアートとは無縁である。木を捻る、出来そうで出来ない、概念化されそうになっても概念化され得ない境界線を辿っていることを考慮に入れれば、加藤の略歴は一貫することとなる。

fig.2 加藤義郎展 展示風景 提供:加藤義郎

しかしその中にも加藤はユーモアと気軽さを忘れない。堅苦しく難解な現代美術の「思想」を提示するのではなく、見る者が「驚愕」「すること」という二つの行為へ導いてくれるのだ。自己の作品に他者の視線を携えることによって作品を完結させるという現代美術の当たり前の手法をさらりとやってのける点に、加藤のベテランとしての存在感が浮び上がる。単に「これはどうなっているのだろう」と見る者が考えるだけで、加藤の主張は伝達が完了するのだ。

fig.3 加藤義郎《折り畳めない四曲屏風》 提供:加藤義郎

当然、加藤は驚愕をさせるだけではなく、造型作家としての工夫も凝らしている。《折り畳めない四曲屏風》を見るとエッジまで鋭く磨き上げている。捻る、といっても単にフォルムを形成するのではなく、幾何学的計算を元に制作している。そうでなければ、捻ることは成立しない。また、捻るという行為は絞る、締めると同様、非常に力が必要であるという印象を与える。その捻る行為を、木が持つ温かさや柔らかさに転換するのがこの作品の特徴ともなる。金属や石を捻っても面白くもないのだ。

fig.4 加藤義郎《15°ひねり2題》 提供:加藤義郎

fig.5 加藤義郎《30°ひねり2題》 提供:加藤義郎

かといって加藤は彫刻家ではない。加藤は飽くまで、現代美術を追及している。この頃の加藤の作品には、削り落ちた木片や木屑を装飾的に展示していたが、この原稿を書いている2013年になると、その木片や木屑を用いて作品を制作する姿が目撃されている。そこにはエコロジーというメッセージよりも、生きることに無駄は存在しないという加藤の信念すらも感じることが出来る。詳細については、今後の「批評の庭」を引き続き読んでいただくとそのうち登場する予定である。

2013年12月19日木曜日

レビュー|「真鍋恵美子展―Together―」

展覧会名|「真鍋恵美子展―Together―」
会期|2011524日(水)~68日(木) 
会場| ATELIERK


執筆者|宮田 徹也


fig.1 真鍋恵美子展 展示風景

横浜を拠点とする真鍋恵美子の横浜における展覧会である。新人という年齢ではないし、中堅にしては作品の強度があり、ベテランと定義されるほど落ち着いてはいない。真鍋は果敢に作品を制作し、世論に対しても明確な意見を持っている。その評価は既に確立してはいるのだが、真鍋はそういったイメージを展覧会ごとに次々と破壊していく。

この展覧会ではそれまで得意としていたコラージュと多彩な顔料を極端に減らし、主に白と黒の世界の形成を図った。白と黒と云っても和紙に墨であり、時折アクリルを使用しているのだから、もしかしたらこの作品群のほうがそれまでの作品よりも、煌びやかに発光していたのかも知れない。

fig.2 真鍋恵美子展 展示風景 撮影:宮田徹也

真鍋は18×23cmの作品を26点、32.5×40cmの作品を15点、21×43cmの作品を1点、50×70cmの作品を2点、合計44点を出品した。素材は和紙に墨、アクリルだが、大型の作品はケント紙である。「Red」「Gold」などの象徴的で簡潔なタイトルがヴァリエーションし、制作年は総て2011年である。

和紙に墨を流しただけの作品は、簡素でありながらも真鍋でなければ出来ないスタイルと成っている。書やアメリカ抽象絵画、日本画の抽象性と一線を画している理由は、やはりモチーフであり方法論であり意識の違いであろう。真鍋は多様なスタイルを通過した上でこの技法に至った。これまでの自己の中に根付いた制作が導き出された結果ということができよう。

fig.3 真鍋恵美子展 展示風景 撮影:宮田徹也

 真鍋の最も素晴らしい点は、全くの独学の点にある。独学だからできることではなく、独学でなければ出来ないことに画面は満ちている。墨を少なく使用する作品と、多く盛り込む作品が、全く異なって見える。これは一様に墨の使い方を学ぶ作家には不可能な技法である。真鍋は自己の思いをストレートに技法に転じられる、稀有な作家であると言うことが出来る。

fig.4 真鍋恵美子展 展示風景 撮影:宮田徹也

それでもこれまで培ってきた手法を捨てることがない点にも、真鍋の魅力は発揮されている。画面を矩形で区切り、その中に描かれるモチーフは孤立せずに全体に繋がっている。その視点は水平と垂直を通り越して、俯瞰と蛙瞰にまでも達しているのだ。作品は壁に架けられているのだけれど、壁を突き抜けていくのではなく、見る者の視線が床から天井からと変容するのだ。

fig.5 真鍋恵美子展 展示風景 撮影:宮田徹也

真鍋のように自由に自己の思いを作品に投影出切る作家がもっと増えてくれればいいと思う。44点の作品を展示したATELIERKは決して広い空間ではない。しかし、底知れぬ広さを感じてしまうのは、やはりATELIERKという画廊の意識の高さに他ならない。ATELIERKは旺盛に活動を繰り広げているのだから、今後も横浜に注目していきたい。