2013年9月15日日曜日

レビュー|今井アレクサンドル展―針生一郎先生に捧ぐ―

展覧会名|今井アレクサンドル展―針生一郎先生に捧ぐ―
会期|2011年 413日(水)~27日(水) 

会場|新生堂 中地下会場


執筆者|宮田 徹也

fig.1 今井アレクサンドル展展示風景 提供:新生堂

今井アレクサンドル(1959-)といえば今井俊満(1928-2002)の息子というよりも、1980年代からのライブペインティング、巨大なディスプレイ、神奈川県民ホールギャラリー全館での一万枚個展という、破天荒な作家として知られている。近年の作品は自己を喪失させる意味で父を凌駕する抽象画に加えて、デ・クーニング、キース・ヘリング、マルレーネ・デュマスに匹敵するほどの具象画を描いている。私はその実力を深く認め、2008年に横浜ZAIMとギャラルリーパリでの同時展覧会を企画した(「現代を透視する-急-」、「現代を透視する-緩-」)。

fig.2 今井アレクサンドル展展示風景 提供:新生堂
その想いは、20105月に没した針生一郎も同様であった様子だ。針生一郎は1925年仙台市に生まれ、敗戦後の美術/文学批評に広く楔を打ち込んだ人物である。1996年、僅か一年間であったが、私も和光大学の針生ゼミに参加した。その後縁が遠かったのであるが、晩年の針生自宅ゼミに参加したところ、私と同様の作品を預かっていることが判明したのだ。抽象絵画が売れないというだけの理由で美術館から消滅し、アレクサンドルが評価されるのは100年以上待たねばなるまいというのが針生と共通の認識であった。

fig.3 今井アレクサンドル展展示風景 提供:新生堂

展覧会は、中型の抽象作品が主となった。新生堂が持つ漆黒の空間に、アレクサンドルの作品は相応しい。アレクサンドルは大型の紙若しくは広大な空間でポーリングを行うので、その筆跡の勢いは他の追従を許すことがない。その上、これまでの経験で培った色彩感覚は抜群であり、そのためにモノクロの作品を制作すれば、古来の水墨画すらも超越するのではないかという期待が込められる。

fig.4 今井アレクサンドル展展示風景 提供:新生堂

今回出品した屏風調の作品に、俊満の《鯉のぼり-大分-》(1987年、大分市美術館蔵)を想起する者もいるのであろう。しかし俊満とアレクサンドルの大きな相違点は、描くことの軽さにあると私は思う。綿密に計算する俊満に比べて、アレクサンドルはラフに仕上げる。これは親子、作家の違いと言うよりも、作品を制作する時代の要望であると解釈することが出来る。アレクサンドルが何故あれだけ大量の作品を生み出しているのかを考察して欲しい。現代に必要なのは、疾走する力なのだ。アレクサンドルに実際に出会うと「作品を買って欲しい」と執拗に迫られる場面が多々ある。我々は作品を消費するのではなく、受容する力を作家と作品から求められているのだ。その点を忘れてはならない。

fig.5 今井アレクサンドル展展示風景 提供:新生堂

アレクサンドルは、その後も各地で制作を続け、作品を発表している。この展覧会の売り上げを東日本大震災の被災地への寄付に当てるとDMに記してあるように、アレクサンドルは資本主義という現代と闘っているのだ。新生堂という日本画のメッカでの展示を乗り越えて、今日もアレクサンドルは制作していることであろう。

1 件のコメント:

今井アレクサンドル さんのコメント...

冗談じゃねえよ。去年も一万枚以上売れたし、いままで100000枚以上売ってるし、ただ認めたくないだけだろ。なめんなよ。