2013年9月14日土曜日

レビュー|加藤芳信展 画集出版記念

展覧会名|加藤芳信展 画集出版記念
会期|2011322日(火)~42日(土)
会場|ギャラリー川船


執筆者|宮田 徹也

fig.1 加藤芳信展展示風景 提供:ギャラリー川船

加藤は1932年生まれだから、この年、80歳だと思えないほどに作品が若い。この展覧会に出品した点描の作品は、カタログの土方明司によると40年以上も続けている。作品は総て、紙に墨で描いている。信じ難い墨のテクニックと言えば靉光(1907-46)を思い起こすが、加藤はシュルレアリスムも新人画会も引き継いでいない。それどころか、池田龍雄のペン画による原始的光景、リー・ウーファンの反復とも全く異なる様相を呈している。加藤が師と仰ぐ井上三綱は画家というよりも東洋思想/宗教研究者である。しかし加藤は東洋的であってもあくまで加藤個人であり、大文字の歴史に身を委ねることはしない。加藤を「美術の歴史」に組み込むことは不可能である。

fig.2 加藤芳信展展示風景 提供:ギャラリー川船

fig.3 加藤芳信展展示風景 提供:ギャラリー川船

即ち、加藤が描く世界観とは、加藤にしか出来ない東洋の思想であると言うことができるのである。すると、東洋とは何かと言う問題が降りかかってくる。墨と和紙を使えば、東洋的であるといえるのか。それは西洋に対する東洋ではないのか。我々が自身を東洋人と標榜するのも、この一貫ではないだろうか。己が己であることを自覚し、現代と言う時間軸に自己を無として身を委ねることにこそ、加藤を何とか東洋的であるという認識することができるのではないだろうか。東洋に生まれたから、東洋に住んでいるから、東洋の思想を学んだから東洋であるとは、断じて言うことができない。

fig.4 加藤芳信展展示風景 提供:ギャラリー川船

加藤の作品が持つ本質とは、モノクロームの世界観ではない。それは同時に展示されている加藤の彫刻を見ることによって発見することができる。色、形、素材、マッスを無視して成立している彫刻群は、空間に収まること=空間を生み出すことを拒絶し、内側から光り輝く存在のあり方を問うているのだ。加藤の絵画作品も同様である。平面である、描かれたものである、何かを表出していると考察すると、作品の真意に届くことはない。加藤が描こうとしているのは、世にある世のあり方なのである。

fig.5 加藤芳信展展示風景 提供:ギャラリー川船

加藤はこれからも紙に点を打ち続けるのであろう。それば事物に蚤を穿ち、素材が持つ本質を引き出す仏師の姿にも似るのではないだろうか。加藤の画業は、これから大きな転機を迎える予感がする。そこに立ち現れる宇宙に対して、私は臆すことなく向き合う準備を整えたい。

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