2013年5月23日木曜日

レクチャー採録|芸術とは何か?

日時|2013年5月21日(火) 6時限(1710分〜1830分)
場所|東北芸術工科大学 本館 402講義室
講義|芸術文化原論

話者|小金沢 智


「芸術」と「美しい」の「定義」から
小金沢です。この度は呼んで下さりありがとうございます。
 昨年の7月にもこの「芸術文化原論」で講義をさせていただいたのですが、そのときこの授業に出ていたという人もいるでしょうか? 昨年の講義のタイトルは「「私」を起点に現在の日本の美術とその歴史化について考えるための試論」でした。僕は普段自分の専門を「日本近現代美術史」と言っているのですが、その講義で僕は、「客観性」など顧みず、誰よりもまず「私」を積極的な主体として捉えて美術を考えたいと言いました。「私」という個人ですら一様ではなく、自分自身ですら完全にその思考を理解しておらず、だからこそその他者性に注意深く目を向ける必要があるのではないか。だからこそ私と目の前の美術との関係を起点にして、なによりそこに責任を持ち、美術とその歴史化について考えたい。そのときは具体的に、これまで作品を拝見してきている画家の諏訪敦さんや内海聖史さん、あるいは職場の展覧会で関わった物故作家の松本竣介の作品や思想も引き合いにも出しながら、要は芸術とはきわめて個人的なものであり、そこに望むと望まざるにかかわらず、大なり小なり、社会も影響してくるというお話をしたと思います。詳しくはこちらにアップしているので、ご興味ある方は読んでみて下さい(→ http://www.art-critic.org/2012/07/blog-post.html )。
 今回は三瀬さんから、この講義のそもそもの主題である「芸術とは何か?」という話をして欲しいと頼まれています。そこで、4月上旬くらいに話をいただいてからのひと月ちょっとの間、僕の頭の中では「芸術とは何か?」という問いがぐるぐると回っているのですが、みなさん、芸術とはなんだと思いますか? 東北芸術工科大学は改めて言うまでもなく芸術を学ぶ大学ですから、それぞれで芸術に対する考えをお持ちなのではないかと思います。ただ、こういうときはまず辞書を引くとよいと思うので、手持ちの辞書で調べてみると、次のように書かれていました。

「音楽・絵画・彫刻あるいは文学など、美の実現をめざす人間の創造活動をさし、会話から硬い文章まで広く用いられる最も一般的な日常の基本的な漢語。〈前衛―〉〈―の域に達する〉〈―のかおり〉〈―の都〉小林秀雄の『モオツアルト』に「優れた―作品が表現する一種言い難い或るものは、その作品固有の様式と離すことが出来ない」とある。「アート」に比べ、空間美術のみならず音楽のような時間芸術をも含み、広くは文学まで包含する」(中村明『日本語 語感の辞典』岩波書店、2010年、309頁)

 ここで肝なのは、文中の「美の実現をめざす人間の創作活動」というところでしょう。つまり、少なくともこの辞書に習えば芸術は、「美の実現をめざす人間の創作活動」と定義されているのです。けれども、では「美」とは何か? と問われて答えられる人はいますか? 僕は芸術と同様、「美」も実に曲者であると言わざるを得ません。「美」、ないし、「美しい」ということ。「美しい」とはどういうことなのでしょうか? 同じく、辞書を引いてみるとこのように書かれています。

「形や色や音などがうっとりするほど美的に快く感じられる様を表す基本的な和語。〈―景色〉〈―女性〉〈―行為〉〈―話〉武者小路実篤の『友情』に「自然はどうしてこう―のだろう。空、海、日光、砂、松、美しすぎる」とある。「麗しい」のような雅語的な雰囲気の文章語ではないが、「綺麗」よりは改まったいくらか文章寄りの表現。くだけた会話ではあまり使わない。そのため、当人に面と向かって「お―ですね」と言うと、「お綺麗ですね」に比べ、気障で葉の浮いた感じを招きかねない。「―友情」のように抽象化した例では「綺麗な」と置換不適」(中村明『日本語 語感の辞典』岩波書店、2010年、93頁)

 どうですか? 「美しい」とは、「形や色や音がうっとりするほど美的に快く感じられる様」とこの辞書には書かれていますが、はたしてこれで、「美」とはこういうものであると理解することができるでしょうか? 「うっとりするほど美的に快く感じられる」と言われても、よくわからない、あまりに主観的ではないか、そう思いませんか?
 引用されている武者小路実篤の文章から推察すると、「美」は自然が対象の場合にも使うことができる言葉なのかもしれません。反対に、芸術という言葉を、自然物を対象に用いることはないように思います。そこから考えを発展させれば、つまり芸術とは、「自然にある、うっとりするような美的に快く感じられる対象を、人工的に実現するための人間の創作活動」と仮定することができるかもしれません。芸術が、「うっとりするような美的に快く感じられる」ものであるかどうかは大いに異論があろうかと思いますが、この段階でそれはひとまず置いておきましょう。ここで「芸術」と「美しい」という言葉を辞書から引いたことによって明らかになったこと、今回の講義の前提として共有したいことは、「芸術」も「美」も明確に定義できないということです。もし、先ほど引いた「美しい」の定義に対して「主観的に過ぎる」と思う方がいるとすれば、そもそも「美しい」とはそういうものなのです。
 これはつまり、「芸術」も「美」も、絶対的、普遍的なものではないということです。絶対的、普遍的なものを目指す、ということは理想としてありえますが、それが実現することはきわめて決して簡単なことではありません。これは芸術の問題にかぎりませんが、ある対象に対し、誰もが同じ感情をいただくということが、日常的な経験から考えてありえるでしょうか? 少なくとも僕は思えません。僕たちは日々、その程度の差はあれ、他者とわかり合うことの難しさに頭を抱えていないでしょうか? もちろんわかり合うことの喜びもありますが、しかし、絶対的や普遍的という言葉に少なからず潜む、排他主義的で全体主義的な思想は、僕はきわめて危険なものであると思わざるをえません。そういった思想が極点に達することで、これまでにない作品が生まれることもあるでしょう。たとえば、第二次世界大戦下の戦争画とはそういうものであったのかもしれません。ここでは、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》(東京国立近代美術館無期限貸与、1943年)を例にあげておきましょう。画家もまた、日本国家を構成する国民の一人として戦争協力をしなければならなかった時代、国民の戦意高揚を意図する絵画がこのようなかたちで、まさしく極限の状況で描かれました。
 ただ、現在僕たちがそういう状況に置かれているかというとそうではない。芸術を用いて日本を統一しようとする政治家もいなければ、それに協力する画家もいないように見える。ですから今回は自分の問題として芸術を考えるため、「芸術」や「美」とは主観的なものであるというところをスタート地点にして、講義を進めていきたいと思います。

これこそが美術だというものは存在しない
さて、ここで、では僕がどういうことをしているかということをお話ししておきたいと思います。肩書きとしては、通常、東京・世田谷区にある世田谷美術館の学芸員と名乗っています。学芸部の中に三つ課があるうちの美術課に所属していて、ほかに企画課、教育普及課があるのですが、美術課は主に美術館のコレクションを担当する課です。そして、世田谷美術館は世田谷ゆかりの作家の三つの分館があり、僕はそのうちのひとつ、宮本三郎(1905-1974)という洋画家の美術館(宮本三郎記念美術館)の展覧会や調査研究、ワークショップなどを担当しています。ただ、非常勤で勤務日数が比べて少ないため、休みの日は自分の勉強のため、できるだけ美術館やギャラリーに行って、展覧会を見るようにしています。その中で気になった展覧会を、『月刊ギャラリー』という雑誌で展覧会評「評論の眼」の連載をしているのでそこで書いたり、あるいは不定期にその他雑誌や作家のリーフレット等への原稿依頼をいただくことがあるので、そういうものを書いたりということもしています。
 それで、ではそのことと今回のテーマ(「芸術とは何か?」)を関連させて、先ほど話した「芸術」や「美」は主観的なものであるという話を展開させるとき、自分がどうあろうとしているかという話をしたいと思います。僕は、極力その中で自分の関心を狭めないようにしたいと思っています。主観的なものであるということは、自分の関心の対象だけを研究する、ないしは感じたいように感じるということを意味しません。たとえば、日本近現代美術史が専門だから、その時代の作品しか見ないかというと、そういうことはしない。近世以前の古美術も見るし、先史時代の美術も見るし、あるいは日本だけではなくて世界各地の美術を見るようにしています。ジャンルも極力偏らせない。僕は学部の卒業論文は河鍋暁斎(1881-1889)という幕末・明治の狩野派に学んだ絵描きの《地獄極楽めぐり図》(静嘉堂文庫)について論じたのですが、修士論文では岡本太郎(1911-1996)が戦前パリに滞在していた時期、その作品を当時の抽象絵画やシュルレアリスムとの関わりから論じました。節操がないことがここからもわかるかなと思うのですが、というのは、僕は作品をジャンルで一括りにするということにあまり関心がない。だから、日本画、洋画、彫刻、陶芸、染織、建築、映像、写真、インスタレーションなどなど、それぞれ関心があります。関心がジャンルやテクニックというよりその作品固有の内容に向いているからです。
 そのことが、今回配布をお願いした『月刊ギャラリー』で書いてきた展覧会の一覧を見てもらえるとわかるかもしれません。絵画作品が多いものの、木彫、映像、写真、インスタレーション、染織など、対象としているジャンルはさまざまです。東北芸工大の三瀬夏之介さんと鴻崎正武さんがされている「東北画は可能か?」についてとか、卒業生の金子富之さん、髙田幸平さん、それから今修士1年生でこの講義を受けてくれている多田さやかさんらについても書いていますので、興味がある方は大学図書館などでぜひご覧になって下さい。
 この連載は、2010年の秋に雑誌がリニューアルするのを機にはじまったので3年目になりますが、個人的にひとつだけルールを設けています。それは、1970年以降に生まれた作家についてしか書かないということです。最初から設定していたわけではなくて、その他の連載陣が一回りか二回り年齢の上の方たちなので、自分の役割を考えて途中からそうなったというのが正直なところなのですが、今ではこれは悪くないルール設定だったかなと思っています。僕は1982年生まれなので、干支で考えたときに一回り上の作家について書くことを限度にする。あくまで『月刊ギャラリー』での連載ではそうしているということに過ぎないのですが、これは「芸術」や「美」は主観的なものであるという主張と無関係ではありません。
 というのは、「芸術」や「美」は主観的なものであるけれども、一方で、ほとんど自らは選択できない外部の環境によって、自分の意志とは無関係にその概念が構築されているというのが実際なのではないか、と思うからです。矛盾したことを言っていると思われるかもしれません。けれども、それらについて、はたして外部の環境を抜きにして考えることができるでしょうか? 僕たちは、自らではなく、外部の環境によって、それらが芸術であるとか、美しいものであるとか、思いこまされているのではないでしょうか? つまり、「芸術」や「美」を計る物差しがあるとして、その物差しは自分で作ったものではなくて、既成のものなのではないでしょうか? 僕が好きな画家の松本竣介(1912-1948)の言葉に、こういう一文があります。

現実がそのまゝで美しかつたなら、絵も文学も生まれはしなかつた。そして現実生活の一部分にでも共感するものがなかつたなら文章を絵も作られはしない」(松本俊介『雑記帳』1巻第3号、193612月。引用は、『新装増補版 人間風景』中央公論美術出版、1990年、137

 これは、芸術が自分以外のものを触媒にして作られるということを端的に語った言葉だと思います。僕が、芸術や美は主観的なものであると言ったとき、なんて自分のことしか考えてないのだろうと思われた方もこの中にいるかもしれません。しかし、それは、実際その感覚のすべては自分が主体的に選択してきたものではない、ということを前提としています。たとえば、美術の歴史を振り返ってみたとき、そこには数千年数万年の時間の蓄積がありますが、それらのすべてに対して、それが「芸術」であるか否か、あるいは「美しい」かそうでないか、ということを僕たちは個別に判断していません。そんなことはほとんど不可能で、すなわち僕たちが今美術館や博物館で目にしているものは、誰かによって「芸術」であるとか、「美しい」とか、あるいはさまざまな側面から価値があると判断を下されてきたものなのです。そして、僕たちの「芸術」に対する感覚の基盤になっているものは、そういうものです。ルーヴル美術館が所蔵しているレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の《モナ・リザ》(1503-1519年頃)は、少なくともこの教室にいる人で知らない人はいないだろう、きわめて有名な作品ですが、ではどれだけの人が実際に見たことがあるでしょうか? しかも、その作品を見にルーヴル美術館を訪れたところで、保全上の問題で防弾ガラスのケースに収められた作品までの距離は遠く、常設展示されているにせよ、間近でじっくり観察できるというものではありません。つまり、判断を下すことが難しいということですが、けれどもその作品は、これまでの歴史的蓄積によって、広い範囲で「芸術」として、「美しいもの」として認められている。こう考えると僕たちの感覚は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》の例にかぎらず、これが「芸術」であるという、他者の感覚をまず刷り込まれることによって始まっているということです。
 話が抽象的になってきてしまったかもしれませんが、このことと、自分が連載で設定しているルールについて結びつけると、こういうことになります。つまり、自分が生まれた時代や環境の近しい作家について考えるということが、これまであらかじめ共有されてきた「芸術」や「美」とはこういうものであるという感覚を、より自分の感覚に近しい意味合いで、更新することに繋がるのではないか? ということです。歴史からのお仕着せではない、自分の物差しを作るためのなにかが、そこにはあるのではないか?
 やや結論めいたことを言うと、「芸術とは何か?」という問いは、これまで芸術とされてきたものと、現在新しく生まれようとしているがまだ明確な名前が付いていないものとの間を往還することでしか考えることができないのではないでしょうか? 「芸術」や「美」とは、そのいまだ定義の渦中であるところの運動の中にあるのではないでしょうか? 芸術が、明確な意味合いとしてこういうものである、と完全に定義されているとしたら、僕は、それはずいぶん退屈なものだと感じてしまうでしょう。研究しようと思うこともないかもしれません。
 「小金沢さんは、自分でわからないことも書いている」ということを、この前ある方から言われたのですが、僕はむしろ積極的にそうありたいと思っています。自分がわかることを書いてなにが面白いのでしょうか? 自分がわかるものを見てなにが面白いのでしょうか? なぜかわからないけれども、自分が惹きつけられる作品について言葉にしようと試みることの方が、僕にはよほど大切なことなのです。
 オーストリア系ユダヤ人の美術史家E.H.ゴンブリッチ(1909-2001)の『美術の物語』は、1950年に初版が刊行されて以来、今では35カ国語に翻訳されている世界的ベストセラーの美術書ですが、ゴンブリッチはその序章、「美術とその作り手たち」をこのような文章ではじめています。

 「これこそが美術だというものが存在するわけではない。作る人たちが存在するだけだ。大昔には、洞窟の壁に、色土でもってバイソンの絵を描いた人がいた。現代では、絵具を買ってきて、広告板に貼るポスターを描いたりもする。人はいろんなものを作ってきたし、いまも作っている。そういう活動をみんな美術と呼ぶのなら、さしつかえはない。美術といっても、時と所によってさまざまだということを忘れてはならない。普遍的な「美術」が存在するわけではないのだ。ところが、いまや「美術」が怪物のようにのさばり、盲目的な崇拝の対象になっている。だからある画家をつかまえて、あなたの作っているものはすばらしい、でも「美術」ではない、と言ったら肝をつぶすかもしれない。また絵を見て楽しんでいる人に、あなたの好きなのは「美術」ではなく、なにか別のものなのだ、と言ったら面食らってしまうだろう。」(著:E.H.ゴンブリッチ、訳:天野衛ほか『美術の物語』PHAIDON2011年、21頁)

 世界的ベストセラーの美術書が、その冒頭で、「普遍的な「美術」が存在するわけではない」と書いているのは、とても痛快なことだと思いませんか? この本の中にはさまざまな時代の、国の、ジャンルの、様式の美術作品が掲載されています。それはゴンブリッチの造詣の深さと、なにより美術が、「時と所によってさまざま」であるということを証明しています。そして今の僕たちは、そうやって時間的にも地理的にも俯瞰することで「さまざま」であることが明らかな美術のありようから学ぶことができます。逆説的に聞こえるかもしれませんが、他者が作り上げてきたものを自ら主体的に学ぶ過程においてしか、主観というものは構築できない。僕はそう考えていて、おそらく、歴史に残っている作品の多くも、そのような過程を経てできあがっているのではないでしょうか。

終わりに、二人の作家のありようから
抽象的な話ばかりしてきてしまったので、最後に二人だけ、作家を紹介して終わりにしたいと思います。三瀬さんからは、今日、「芸術とは何か?」ということに加えて、「小金沢くんが今一番ホット感覚を話してもらうのが一番」と言われているので、ホットな感覚というか、僕が、この人たちは美術のとても大事な、根っこのところに触れているのではないかと思っている二人のことを話します。一人は女性で、1987年生まれの、大小島真木さん。もう一人は男性で、1974年生まれの、松岡亮さん。二人とも絵を描いています。

大小島さんが描いているのは、曰く「物語り」の世界。世界各地の芸術や伝承からインスピレーションを受けていると思うのですが、なんという言葉を尽くすのが最適か目眩のするほど、壮大な空間軸、時間軸の神話的世界がそこでは展開されています。例えて言うなら、水滴一粒の中に全宇宙が内包されているような、ミクロとマクロが入れ子になって、生死も含めたあらゆるものがそこには内用されているかのような。きわめてスケールの大きい哲学を持っていると感じる一方で、ささやかなものにも目を配っている。そういう世界観がとても魅力的です。


in the forest / 森の中で〈はみ出し壁画〉2012年、パネル作品、紙に鉛筆、Photo Kenji Mimura
@Maki Ohkojima

星の歌 / Star song〈はみ出し壁画〉2012年、中心にパネル作品、紙に筆、色鉛筆、サイズ300×270cm
@Maki Ohkojima

とても大きな、空の話をしよう / Let's talk about story of big sky.
"Wall Art Festival 2013", Ganjad Village,Mandir, India Photo Toshinobu Takashima
2013年、部屋四面の壁にアクリル、サイズ奥行き6m31cm × 長さ5m38cm × 高さ5m10cm )
@Maki Ohkojima

 僕が、大小島さんが面白いと思うのは、ひとつひとつの描写にきちんと意味があるところ。ディテールについて尋ねれば、これにはこういう物語があってということを教えてくれる。感覚だけで描いているわけではない。彼女はいわゆる平面作品や、それが空間にまで広がった壁画などに加えて、絵本や漫画も制作しています。つまり大小島さんは絵だけではなくて、言葉も大事なツールとして使っている。それは言葉が本質的に持っている魔術的な性質を理解しているからだろうと思います。言葉も絵画も魔術的であって、芸術はそこに触れる。

松岡亮さんですが、僕は松岡さんが描いているものがわかりません。松岡さんが描く形象は大小島さんのように具体的な意味を持つものではないし、それでは抽象絵画という言葉が適当かというと、それも違う気がする。なんというか、そうやってわかる種類の絵ではない。


松岡亮個展「誰かに愛されている絵。誰かを愛している絵。」
at BLOCK HOUSE 1F / 2013/feb/4~mar/3

松岡亮個展「終るという事を知っている。」
 at BLOCK HOUSE 4F / 2012/nov/1~dec/31 photo:Ayano Robichon

Snow in Tokyo2012「空に描く。雪と遊ぶ。」

 松岡さんは面白い人で、どこにでも描いているように思える。壁にも描くし、紙にも描くし、木にも描く。過去の作品写真を見ていると、多分雪が降ったあとの地面に描いた写真があるのですが、こういう風に地面にも描いてしまう。「ストリート・アート」と言えるのかもしれないけれども、その「ストリート」の範囲が広い。それから、松岡さんは絵具も使うし、クレヨンも使うし、ミシンを使って刺繍もするなど、使う素材や技法も一様ではありません。そして作品も所有できるものからそうではないもの、大きなものから小さなものまでさまざまです。ではなにが共通しているかというと、おそらく、すごくシンプルなところで、「線が引かれている」ということではないかと僕は思います。適当な言葉を探せば「ドローイング」になりますが、「ドローイング」と言うと大作の下絵のように思えるかもしれませんが、まさしく「線を引く」という意味でのそれです。松岡さんのそれはなんというか、僕たちの体が、この手が世界に触れているということをありありと実感させるようなもの、と言ってみたい。具体的なものを形作るのではなくて、とにかく、自分がこの世界に触れているということ、存在しているということ、それ自体の結果としてこういう形象や色彩がある。そういうものが松岡さんの絵にはあらわれています。だから、はっとする。

二人とも、職場でワークショップを頼んだことがあるのですが、松岡さんのワークショップ「Play Paint」(2013310日、世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館)は、僕がこれまで担当してきたどのワークショップとも違っていました。80㎡ほどの会場の床一面にロール紙を敷いて、用意するのは参加人数分のクレヨン。松岡さんは約20人の参加者に、一人一箱クレヨンを渡して、これをすべて使いきって下さいと言うんですね。絵を描いたことがある人であればわかると思いますが、一人で一箱のクレヨンを使い切るというのは大変なことです。ですが、それが今回のワークショップなのですね。


ワークショップ「Play Paint」(講師:松岡亮) 2013年3月10日 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館

ワークショップ「Play Paint」(講師:松岡亮) 2013年3月10日 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館

ワークショップ「Play Paint」(講師:松岡亮) 2013年3月10日 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館

ワークショップ「Play Paint」(講師:松岡亮) 2013年3月10日 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館

ワークショップ「Play Paint」(講師:松岡亮) 2013年3月10日 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館

ワークショップ「Play Paint」(講師:松岡亮) 2013年3月10日 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館

 松岡さんはスタートと言うと、自ら率先して床に敷いた紙に線を引いていく。参加者の人たちは最初ちょっとぽかんとしているのですが、次第にそれにつられるようにして線を引いていく。それは絵を描くというよりも、もっと動物的な行為のように見えました。その場にエネルギーが渦巻いていく。ワークショップ中、松岡さんはほとんど何も喋らない。講師なのに、あれをこうしろとか、これをああしろとかまったく言わない。ただ、誰よりも早く、多く描くことで、みんなの先をいっている。いつの間にか自分のクレヨンは使い切ってしまっていて、余っているクレヨンに手を出している。そして、状況を見ながら、1時間くらい経ったら突然、もうこれくらいかな、ということで終わりにしてしまう。最後、参加者の人たちを集めて言った言葉もとても印象深いものでした。「教えることはなにもない。私はただ描いているだけだ」、そういうことを言っていた。

今日は、「芸術とは何か?」という話をずっとしてきて、まず僕は、それは主観的なものであると言いました。「美」も主観的なものであると。結局要は、どれだけそれを自分自身が責任を持って提示することができるかということに尽きると思います。あとでその感覚に変化があるかもしれないけれど、その時々で判断するということ。そして僕はそのためには、自分の感覚だけではなくて、他者のそれにも敏感になる必要があるとも言いました。程度の差はあると思いますが、自分がいる今だけではなくて、自分が存在しない過去や未来、そういうものも、他者には含まれている。「芸術」はそういう中で突然、瞬間的に立ち上がる。そしてそれはふと触れてしまうことで、血が煮えたぎるような、全身の毛穴がひらくような、世界がひらけていくような、あるいは深いところに潜っていくような感覚に僕をさせてしまう。それは皮膚感覚的なレベルでのことで、うまく言葉にできるものではありません。ですが僕は、そういう感覚をどうにかして言葉にしたくて、可視化したくて、美術をしているのだと思います。

 「芸術とは何か?」という壮大な問いに、今ここで答えるとしたら、結局実にあやふやな、そういうものということになりそうです。今日はどうもありがとうございました。



                                      

本稿は、東北芸術工科大学大学院生対象の芸術文化原論で、2013年5月21日(火)にゲストとして行なったレクチャーの原稿を、加筆・修正したものです。

参考

『月刊ギャラリー』連載「評論の眼」:執筆レビュー一覧

Maki Ohkojima
松岡亮

2013年5月15日水曜日

drawer|山影広野 YAMAKAGE Hirono



素材:スノーホワイト紙、天然岩群青、膠
サイズ:29.7×42cm
制作年月:2013年5月

drawerについて:
私は『宇宙』を描くが、実際の宇宙は見たことがない。
日本画には『写生』を尊重する精神があるが、
『宇宙』そのものを 写生 が不可能である。
しかし、イメージすることは可能である。
そのイメージの断片を構築する作業が必要となる。
その過程をdrawerにこめた。

Artist|山影広野 YAMAKAGE Hirono

1991 滋賀県に生まれる
2012 成安造形大学芸術学部美術領域日本画コース・中退
   京都造形芸術大学芸術学部美術工芸学科日本画コース・3年次編入学 

【グループ展】
2011 碧い石見の芸術祭2011美術大学選抜日本画展(島根)
2012   日本の絵画2012入選入賞者展(永井画廊/東京)
   京都造形芸術大学国際交流展『GRAVTY』(3F Project Room/京都)
   日本芸術センター第6回絵画公募展・入選(神戸芸術センター/兵庫)
2013 京都造形芸術大学日本画研究室選抜新人作家展vol.10『画心展』(元立誠小学校/京都)
   『Atmosphere』展示(京都造形芸術大学Galerie Aube/京都)
   アートムーブ2013絵画コンクール・入選(大阪府立江之子島文化芸術創造センター/大阪)
   
【受賞歴】
2012   日本の絵画2012・千住博賞受賞


Works


山影広野《Atmosphere♯1》 額、高知麻紙、岩絵具、膠 163×117cm 2012年
「公募-日本の絵画2012-入賞入選作品者展」(永井画廊/東京)


山影広野《牽牛-Altair-》高知麻紙、岩絵具、顔料、膠161.8×92cm 2013年
「京都造形芸術大学日本画研究室選抜新人作家展vol.10『画心展』」(元立誠小学校/京都)


2013年5月10日金曜日

レビュー|斎藤秀三郎展

展覧会名|斎藤秀三郎
会期|201137日(月)~20日(月)
会場|アートスペース貘


執筆者|宮田 徹也

Fig.1 斉藤秀三郎展 展示風景 撮影:宮田絢子


東日本大震災は、関東地方に在住する人間の生活に多大な影響を与えた。生肉や野菜は売れ残り、インスタント商品やミネラルウォーター、米、トイレットペーパーが姿を消した。その中で私は予定通り、斎藤秀三郎と働正+淳の展覧会の取材へ福岡に向かった。

斎藤秀三郎は1922年生まれ、初期九州派に参加、その後グループ西日本の中心メンバーとして活躍した。福岡市美術館の山口洋三氏の報告によると、若手の作家とも広く活動を共にしている(http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/curator/yy_0805.html)。

2011年の個展について、会場のアートスペース貘のwebにレポートがあるので引用する。「「生者必滅」という冷厳な掟を斎藤さんがどこまで受容できるか?我が身がこの世から永久に消え去っていくということを自問自答する「生と死と愛」をテーマにした作品の展示です。16年前に亡くなった妻麻子さんの着物や玩具を素材にしたオブジェ3点、庭にある蝉の抜け殻を黒い木枠の棺桶に見立てた箱に入れた7点の作品、咲いて枯れていく百合の花の姿を11枚の「連続絵画」にしている。」(http://artspacebaku.net/wiki/index.php?%E6%96%8E%E8%97%A4%E7%A7%80%E4%B8%89%E9%83%8E

Fig.2 斉藤秀三郎展 展示風景 撮影:宮田絢子

アートスペース貘は、決して窮屈な画廊ではない。斎藤の作品が大きすぎて/広すぎて、引きで全体を見渡すことが出来ないのである。貘のレポートにあるように、21点の作品が連続することによって一つの作品を生み出す、謂わばインスタレーションである。同webに斎藤の近年の活動が残されているが、その総てが平面ではなく物質を用いた展示表現であることも重要である。

Fig.3 斉藤秀三郎展 展示風景 撮影:宮田絢子

引きで見渡せないのは、斎藤の意思かも知れない。人間は全球体を見渡すことが出来ないのだ。それほどまでに、空間と絵画が一体化していることこそが、インスタレーションの所以ではないだろうか。今回、斎藤が用いているのがオブジェであっても、「絵画」であることには代わりがない。客観的なオブジェクトに対する徹底的な主観であるサブジェクトが、ここには満ち溢れている。斎藤にとって蝉の抜け殻は客体ではなく、自己を含む死の主体なのだと解釈することも可能なのではないだろうか。

Fig.4 斉藤秀三郎展 展示風景 撮影:宮田絢子

そして個々の立体、平面、装飾するための台までが互いの形として響き合って相克し、内臓の形、花の姿、昆虫の生きた痕跡、人間が作り上げたフォルムを無化していく。キャプションとも作品の一部とも認識できる作品中の文章を転載する。「からっぽの蝉/からっぽの人間/それに、からっぽの着物。/見上げればきょうも/どこまでもどこまでも/からっぽの空が…。/私は――、/私はただひたすら/花を捧げるだけ。」

Fig.5 斉藤秀三郎展 展示風景 撮影:宮田絢子

斎藤の言う「からっぽ」とは「虚空」ではない。からっぽであるからこそ満たされた状態を指し示すのは、逆説ではない。空間に自らが充満するのではなく、自らが空間と一体化すること。ここには「美術」という定義を乗り越えた、一つの認識論が存在する。その認識論を理論化するのではなく体験することに、美術とは何かという根源的な問いが隠されている。私たちは、そのような問いに対して、答え無き問いを返していかなければならない使命を受けている。