2013年4月30日火曜日

レビュー|池田龍雄展「アヴァンギャルドの軌跡」

展覧会名|池田龍雄展「アヴァンギャルドの軌跡」
会期|2010619日(土)~719日(月)/2010年109日(土)~2011110日(月)/2011年129日(土)~313日(日)
会場|山梨県立美術館/川崎市岡本太郎美術館/福岡県立美術館


執筆者|宮田 徹也

Fig.1 小林嵯峨による川崎市岡本太郎美術館でのパフォーマンス 撮影:宮田絢子


回顧展とは言えないほどに、池田龍雄は毎年全国で個展を何度も行い、グループ展にも参加し、新作を発表し続けている。戦後美術の生き字引と言いながらも過去の人と認識している多くの美術関係者達は、この展覧会を見ても考えを変えないであろう。それほどまでに、敗戦後に興隆した「芸術アヴァンギャルド」と呼ばれる芸術は誤認されている。

池田がこの展覧会に出品した作品数は、凡そ200点である。池田によると、この5倍は作品を制作した記憶があるという。美術館の所蔵や池田個人の手元にあるもの以外にも、作品は売れたり譲ったりして数多く存在するのであろう。すると池田がこれまでに描いた作品は何千点あるのであろうか。池田は現在でも作品の制作を続けているのだから数えることは不可能であり、不毛な作業となる。

そのような池田の作品の一部を垣間見られたことは、戦後美術を再考する上で重要な機会となった。その理由は三点ある。
第一に池田には代表作がない。初期のペン画が今日に至るまで評価され続けようとしても、その後の作品はそのペン画を凌駕する。池田は常に自己の作品を乗り越えていく。そのため、代表作は最新作でもあり、これまで描いた絵本の挿絵も含まれていく。即ち、「代表作」というアカデミックな発想をはじめから持ちえていない。それが池田をアヴァンギャルドたらしめている。
第二に、池田自身が「自分の作品は従来の絵画ではなく漫画と同等に扱って欲しい」と嘗て記したように、油彩があったとしてもペン画、アクリル画、ミクストメディア、印刷物といったあらゆる手法によって為されていることにある。アヴァンギャルドはその内容と意思を伝えるためには手段を選ばない。そして池田は美術という近代が創り上げた神話的概念に対し、演劇、舞踏、音楽、デザインと、あらゆる分野を越境する。「総合芸術」という概念は既に細分化された概念を統合しようという権威的な発想であろう。そこには芸術を純化しようという芸術至上主義的発想も隠されている。池田は自己を取り巻く社会の総てを作品に投じる。それによって池田はアヴァンギャルドが持つ人間の、芸術の根源に辿り着こうとするのだ。
第三に、このような多角的な池田の作品群に対して、各美術館はそれぞれの見解を示したことが、この巡回展の深い意義となった。山梨では美術史的な発想を用いて、年代ごとよりも油彩、ペン画、アクリル画と手法ごとに分類した展示を行った。これにより池田が画業の特徴が明確になったが、作品が持つ主張―戦争/炭鉱/工場への風刺と攻撃―が薄れてしまった感がある。川崎では迷路のような展示により、混沌とした空間を築き上げた。すると今度は個々の作品が埋もれてしまう。福岡は、謂わば個人コレクターのような視線の展示であった。池田個人の人間像が浮かび上がるのだが、池田を詳しく知らない人間にとっては理解に易しくはなかったであろう。つまり、どのような展示を以ても池田龍雄が描く作品は浮かび上がってこないのだ。ではどうすればいいのだろう。池田の活動とアヴァンギャルドの軌跡をつぶさに観察することではなく、アヴァンギャルドは全体像を把握することではなく、時代と闘うことであることを前提にすれば、自ずと見えないものが見えてくるのではないだろうか。

私は『池田龍雄画集』(2006/沖積社)の参考文献を編纂した。その際に気をつけたことは、池田を「美術」の領域に閉じ込めないことであった。演劇、舞踏など、美術以外の活動の文献を隈なく配したつもりである。今回の展覧会のオープニングには、舞踏者が池田の作品を前にして舞った。山梨では田中泯が池田の作品と初めてコラボレートした。田中は池田の作品にある円を自らの体内に入れ、外部へ排出した。池田の持つ強靭さと屈強さを見事に捉えていた。川崎では小林嵯峨が舞った。小林の師である土方巽と池田は同世代であり、敗戦後、交流があった。小林は池田、土方という先輩が歩んだ道に憑依し、現在する自らにその痕跡を投じたのであった。これが美術と舞踏の関係なのかと背筋が冷たくなった。福岡ではウエディングドレス姿の原田伸雄が空を切った。原田は「敗戦」を主題として、池田の作品から時代を読み取り、自らの身体に歴史を召還したのだ。それは原田も池田も生まれていない時代にまで遡るほどの衝撃に満ち溢れていた。福岡では第二会場の3号倉庫で、原田の弟子でもあった若手の白川麻衣子が踊った。様々な試行錯誤がこれからの舞踏を背負っていくのであろう、池田の作品の本質に食い下がろうとした努力が素晴らしかった。

Fig.2 田中泯による山梨県立美術館でのパフォーマンス 撮影:宮田絢子

Fig.3 原田伸雄による福岡県立美術館でのパフォーマンス 撮影:宮田絢子

Fig.4 白川麻衣子による3号倉庫でのパフォーマンス 撮影:宮田絢子

池田龍雄はこれらの展示により、これから始まったということが出来るのであろう。池田の作品から新たな発見をするのは、私たちの闘争を携える眼なのだ。

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