2011年4月15日金曜日

レビュー|秋山祐徳太子個展「高貴骨走」

展覧会名|秋山祐徳太子個展「高貴骨走」 
会期|2010年5月28日(金)~6月27日(日)
会場|アイショウミウラアーツ

執筆者|宮田 徹也


Fig.1 秋山祐徳太子個展「高貴骨走」展示風景 画像提供:アイショウミウラアーツ


Fig.2 秋山祐徳太子個展「高貴骨走」展示風景 画像提供:アイショウミウラアーツ

今回秋山は一階の展示場で都知事選のポスターとその当時出演したテレビなどを編集した映像を上映し、二階ではブリキ彫刻群、ライカ同盟の写真、絵画作品を展示した。出展リストを転載する。

出展リスト

新作ブリキ彫刻(2F)
1 . ダリコ佛 S
2 . ダリコ佛 M  
3 . ダリコ佛 M  
4 . ダリコ佛 S  
5 . ダリコ佛 L  
6 . ダリコ佛 S 
7 . ダリコ佛 M  
8 . ダリコ佛 M  
9 . ダリコ佛 S  
1 0 . ダリコ佛 S 
1 1 . ダリコ佛 M  
1 2 . とぼけ佛 M L  
1 3 . ダリコ佛 金  
1 4 . ダリコ佛 S S e d . 1
1 5 . ダリコ佛 S S e d . 2  
1 6 . ダリコ佛 S S e d . 3  
1 7 . ラビットバロン1 e d . 1  
1 8 . ラビットバロン e d . 2  
1 9 . 遠方の男爵K  
2 0 . 春の公園  
2 1 . 脳虫力
2 2 . 空中金魚(絵画) 
2 3 . 春の将軍(絵画)  
2 4 . 富士とラビットバロン  
2 5 . 佛の心  
2 6 . 佛の導き

ライカ同盟写真(2F)
ポッポアート 4 1 x 2 7 c m
ポチ 4 1 x 2 7 c m
セコムしてますか 4 1 x 2 7 c m
あんたが大将 4 1 x 2 7 c m
ブランカ 4 1 x 2 7 c m

選挙ポスター(1F)
都市を芸術する。
フィーバーアキヤマ
東京ラプソティー
保革の谷間に咲く白百合

一階の映像にノスタルジーを感じさせないのは編集の手腕と秋山の力量、そして日本という国の時代変化のなさを物語っている。都知事選ポスターのデザインも同様だ。そしてこのポスターから、日本が変わらない限り秋山が闘い続ける意志すらも感じてしまう。


Fig.3 秋山祐徳太子個展「高貴骨走」展示風景 画像提供:アイショウミウラアーツ


Fig.4 秋山祐徳太子個展「高貴骨走」展示風景 画像提供:アイショウミウラアーツ

二階の展示を通覧すると、秋山の多様性、ポップアートとの関連性よりもむしろ、秋山の大衆性が目を引いた。秋山の描く絵画の自由さは、正に子供が描く絵画のような喜びに満ち溢れている。様々な前衛シーンを潜り抜けてきた秋山ならではの「前衛性」である。ここに70年代に謳歌したデザインにおける「へたうま」、90年代の「アウトサイダーアート」を引き合いに出す必要はないだろう。即ち、秋山の作品はカテゴライズが不可能なのである。同じことはブリキの彫刻にも言える。ブリキと言うキッチュな素材を用いたポップな作品であるとも、そのフォルムが仏像や道祖神を想い起こさせるとも解釈することは可能だが、重要なのは秋山のブリキ彫刻が既存の美術にも工芸にも雑貨にも当て嵌まらないことであろう。では何なのか。それが本来の意味での前衛であることは言うまでもない。

そしてこれから考察していかなければならない事項は秋山の大衆性だけではなく、戦後美術と大衆性の問題であろう。敗戦後、総てが焼け野原になった状態で「美術のあり方」が模索された。そのテーマの指針が大衆性であった。しかしその大衆自身が「最早戦後ではない」と言われ始めた1955年には早くも資本主義の奴隷と化し、60年の安保の敗北、70年の大阪万博という国家行事に飼いならされてしまったのだ。

この時期、最も「大衆性」と闘ったのは岡本太郎だった。岡本は1947年に文学者花田清輝と共に「夜の会」を組織し、やがて破綻しても自己の力を信じて大衆に呼びかけ続けた。太郎が大衆ではなく「前衛」に敗れたのは恐らく1957年に上陸した所謂「アンフォルメル旋風」に対する誤認からであろう。それでも太郎は万博に《太陽の塔》を出品し、その後もパブリック彫刻や壁画の制作を続けた。そして80年代にはテレビコマーシャルに出演し、美術関係者からは顰蹙を食らい90年代には忘れ去られて没した。画風に変化が見られないのは、翻れば主張の一貫性を読み取ることが出来る。

秋山の場合はどうだろう。1965年の岐阜アンデパンダン展に自己を「出品」し、その後ゼロ次元と活動を共にするが主宰の加藤好弘が逮捕され当時は壊滅、75、79年都知事選に立候補するという「パフォーマンス」を繰り広げる。文頭で私は「ノスタルジーを感じさせない」と記した。秋山は生きているのだから、秋山を見ると時代を遡り岡本を見ると時代が競り上がってくるはずなのだがこれは逆だ。しかし秋山を見ると時代が競り上がり、岡本を見ると時代が遡るのでもない。時間のベクトルは一方向にしか進まない。ここの宙にぶら下がっているものは何かを考察することが、前衛と大衆性の問題の鍵になるのではないかと私は秋山の作品を見ながら思った。



秋山祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし)アイショウミウラアーツWebより転載)

1935 年 東京生まれ
1960 年 武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)彫刻科・卒業

1965 年 アンデパンダン展 ( 岐阜)
1975 年、1979 年 政治のポップアート化を目指し東京都知事選に立候補
1986 年 グループ展「前衛の日本展」(ポンピドゥー・センター / フランス)
1991 年 「芸術と日常-反芸術 / 汎芸術-」(国立国際美術館)
1992 年 ライカ同盟発足(メンバー:赤瀬川源平・高梨豊 )
1994 年 「秋山祐徳太子の世界展」(池田 20 世紀美術館 / 静岡)他多数〈グループ展〉
2008 年 「わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者」(東京国立近代美術館)
2009 年 「アートフェア東京」(ギャラリーアートもりもとから出品)
2009 年 フォト台北(AISHO MIURA ARTS から出品)

おもな作品収蔵先
国立国際美術館 / 徳島県立近代美術館 / 池田 20 世紀美術館 / 目黒区美術館 / 広島市現代美術館 / 青森県立美術館 宮城県立美術館 / 夕張市美術館 他多数

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