2011年3月29日火曜日

レビュー|「松谷武判展」

展覧会名|「松谷武判」展
会期|2010年4月12日(月)-4月24日(土)
会場|椿近代画廊

執筆者|宮田 徹也


Fig.1 松谷武判《狭間2009》 画像提供:椿近代画廊

神奈川県立近代美術館鎌倉での個展(「―流動―」2010年2月6日~3月28日)を終えた松谷は、すかさず椿近代画廊での展示を始めた。新作が主であった鎌倉に比べてこの展覧会は1963年から現在に至る作品を出品し、謂わば回顧展的雰囲気を帯びていた。出品作の情報を羅列する。

《作品積》(183×123cm/1963年)
《作品65-K》(163.5×131.5cm/1965年)
《接点2-86》(162×130cm/1986年)
《球体》(162×130cm/1986年)
《円98-3-7》(162×130cm/1998年)
《円2003-Ⅱ》(162×130cm/2003年)
《狭間2009》(162×130.3cm/2009年)
《波動2009-11》(146×113.5cm/2009年)
《書体92-9-12》(65×54cm/1992年)
《書体92-3-15》(54×65cm/1992年)
《WORK62-5》(33.3×24.2cm/1962年)
《作品64-3》(40.9×31.8cm/1964年)
《BOX-M》(77×107cm/1976年/紙に鉛筆)
《流れ》(80×120cm/1978年/紙に鉛筆)
《円の2》(32×24cm/1985年)
《波動91-1-2》(65×54cm/1991年)
《発芽-2》(18×14cm/1997年)
《書体97-7-5》(27×22.2cm/1997年)
《垂直-3》(60×30cm/2000年)
《黒7-2002》(30.5×21cm/2002年)
《円6-25》(35×27cm/2002年)
《波動-3》(41×33cm/2003年)
《角-1》(28×27cm/2003年)
《円09-1-7》(21×15cm/2009年)
《OISEAU 鳥》(49×40cm/1998年/リトグラフ)
《STREAM'98-2 流動》(54×40cm/1998年/リトグラフ)
《STREAM'98-3 流動》(35.5×27.5cm/1998年/リトグラフ)
《STREAM'99-3 流動》(76×56cm/1998年/リトグラフ)
《STREAM'99-5 流動》(90×63cm/1999年/リトグラフ)
《CERCLE'05-06 円》(76.5×56.5cm/2005年/リトグラフ)
《詩画集「雫」》(2008年/俳句:西東三鬼、版画:松谷武判)



Fig.2 「松谷武判」展展示風景 画像提供:椿近代画廊


Fig.3 「松谷武判」展展示風景 画像提供:椿近代画廊


Fig.4 「松谷武判」展展示風景 画像提供:椿近代画廊

特に断りのない作品の素材は、ビニル系接着剤によるレリーフ、鉛筆、カンヴァスである。松谷の画業を通して見て感じることは、まずこの素材の問題であろう。接着剤が形作る矩形、その上で執拗に踊る鉛筆の粉。鉛筆の色とは「黒」ではない。「鉛色」である。それは様々な光の具合によって、異なる色彩を放つ。そして粉塵のため、固定されようとも使用した時のジェストが明確に残される。接着剤はその性質から、溶岩に例えることが出来るのであろう。溶岩は火山が噴火し、火口から流れたマグマが冷えて固まる。つまり莫大な時間と力が蓄積されている。吹き荒ぶ粉塵と力を含蓄した接着剤。これが松谷の作品の魅力なのではないだろうか。

松谷の作品の特徴は、もう一つある。それはジェストの問題である。松谷が自らパフォーマンスを行うこともこれに含まれるのではあるのだが、最も重要なことは沈黙する作品にジェストが含まれていることである。《狭間2009》をよく見てみよう。垂直の二つの線、その間に挟まれた鉛色に塗りつぶされた円と線描の円、そこに噴出する流動的な矩形。一見で見えるこの図像とは別に、空白の部分に多くの失われた線、取り零した面が存在し、それらが画面のバランスを絶妙に保っている。松谷に尋ねると特に意識していないという答が返ってきたが、だからこそこの薄らと残ってしまった線と面が重要になってくるのである。松谷は行為する時間を作品に閉じ込めるのではなく、ジェストが作品として生き続けるのだ。

会場で流されていたDVDには、松谷の制作風景が刻まれている。鉛筆で画面を擦り続けると、鉛筆が徐々に短くなり、画面の鉛色が増す。当然のことではあるのだが、鉛筆が松谷の手によって消尽し画面に乗り移って行くのだ。当然、この瞬間がパフォーマンス公演のように見る者の目を見張らせるのではない。この事実に意味があるのだ。この行為こそが、松谷でなければ成し得ない作品を生み出す秘訣なのだ。

フランスに永く住む松谷は、日本に年一度しか戻らないという。松谷の次作は、今回と同様のスタイルとなるであろう。しかしそこにはその時の行為が託されているのだから、今までとは全く異なる作品になるのであろう。それを目撃する私たちが以前と異なる存在となっているように。



【TAKESADA MATSUTANI-Profile-】公式サイトより転載

1937 1月1日大阪市に生まれる。
1954 大阪市立工芸高校日本画科に入学。2年後病気のため中退。
1960 具体美術展に初出展。
1963 具体美術協会々員に推挙される。
1966 フランス政府留学生選抜第1回毎日美術コンクールでグランプリ受賞。
1967 S.W.ヘイターの版画工房アトリエ17に入門。69、70年助手を務める。
1970 アトリエ17を辞し、モンパルナスにシルクスクリーン版画工房を造る。
2002 現代美術の普及・振興に貢献したとして西宮市民文化賞を受賞。
現在、パリと西宮(丸橋町)に住まいと工房を持ち創作活動に励む。