会期|2010年12月13日(月)-12月18日(土)
会場|ギャラリーQ
執筆者|小金沢 智

Fig.1 「金子朋樹展 Axis-世界軸-」(ギャラリーQ)展示風景
左:《Axis/世界軸-万象は何を支軸に自転し、そして公転するのか-》 画像提供:金子朋樹

Fig.2 「金子朋樹展 Axis-世界軸-」(ギャラリーQ)展示風景 画像提供:金子朋樹
とはいえ、横から見た燕子花の姿からも明らかなように、描かれているモチーフの位置関係は一様ではない。そうした構図に加え影のように黒々と描かれた一つ一つのモチーフからは、金子が鑑賞者に対し、この場面を作家の心象風景として見て欲しいと考えているのだろうと想像させる。ステイトメントにも「原風景」という言葉が使われており、この作品は金子にとって〈自画像〉とでも呼べるものであるのかもしれない。

Fig.3 《Screen -flight -》(ラウンドパネル・富山五箇山悠久紙・八女肌裏紙・新聞紙・正麩糊・墨・箔、三千本膠・天然蜜蝋・染料、162.0×162.0cm、2010)
画像提供:金子朋樹

Fig.4 《Camouflage/カモフラージュ #1~#12》(ラウンドパネル・富山五箇山悠久紙・八女肌裏紙・新聞紙・正麩糊・墨・箔、三千本膠・天然蜜蝋・染料、30.0×30.0㎝、2010)
画像提供:金子朋樹
しかし、その〈自画像〉は個展を見るかぎり様式化されてしまっているように思われる。メインの作品である《Axis/世界軸》その他の小品は、いずれも同作を縮小したものであり、それ以上の印象を持たせるものではない。あるいは、それらがあくまで一つの個展での補助的な役割を担うものだとするならば、《Axis/世界軸》はそれ自体で意味内容がある程度完結するものである必要があるだろう。だが、《Axis/世界軸》が厳密な構成のもとに作られているとは思われない。たとえば画面には英字新聞が所々に貼られているのが確認できるが、聞けばコラージュという手法には意味があるが、その報道内容に特別意味はないという。全体にアトランダムに散らされている金箔も、それにより画面を半ば強制的にまとめようとしているという印象を持ち、ステレオタイプな「日本画」の反復のように見える。ディテールを詰めれば、よりシャープで明確な画面を作り上げることも可能ではなかったか。
個人的に残念であるのは、本展のメイン作品とみなして差し支えない《Axis/世界軸》が、そもそも完全な新作ではないという点である。《Axis/世界軸》は2010年6月、瑞聖寺ZAPギャラリー(白金台)で行なったグループ展「第1回 ガロン」展にて発表された作品であった。ガロンは日本画出身の作家6名と私からなる計7名のグループであり、金子はその代表でもある。グループ展という性質上、同展では1点のみの出品であったため、他の作品を合わせてのちの個展を構成しようという気持ちはわからないではない(大浦雅臣も出品作をのちの10月の個展に出品している)。しかし、展覧会の間隔が短いならまだしも、半年近くが経ちながらの個展への再出品は、いかがなものだろうか。ガロンを、最新作を出す場と決めたのならば、個展もそうであるべきではないか。次回、より厳しい態度の金子の作品が作られることを期待している。
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