2011年1月28日金曜日

レビュー|「荒野をおよぐ landswimming」

展覧会名|「荒野をおよぐ landswimming」
会期|2010年11月20日(土)-12月12日(日)
会場|竜宮美術旅館

執筆者|小金沢 智


Fig.1 (右から)窪澤瑛子 《Jiji》(毛皮・釘、50×25×10cm、2010)
窪澤瑛子 《Lili》(毛皮・釘、60×10×5cm、2010)
しんぞう 《リモコン / Remote control》(acrylic on canvas 、45.5×38cm、2010)
窪澤瑛子《こえしみ》(毛皮、サイズ可変、2010)
photo by:Yasuyuki Kasagi

その場所について知識や経験を持たないものが、その場所だからこそ作られたという作品の意義についてはたして語りえるだろうか。可能であるとすれば、なにも知らず、それでも自らの言葉として語りえることがあるかと自問することからはじめる必要があるだろう。

横浜市中区日ノ出町の竜宮美術旅館で、しんぞうと窪澤瑛子の二人展「荒野をおよぐ landswimming」が開催された。企画者の立石沙織によれば、竜宮美術旅館は「違法飲食店や麻薬のイメージが強い黄金町界隈で営まれていた元旅館の建物」である。一説には元連れ込み宿であるともいい(正確ではない)、なるほど会場の周辺を歩き回ってみれば、いくつもの風俗店が軒を連ねており、日ノ出町からも徒歩圏であるみなとみらい界隈とは雰囲気が大きく異なることに気づく。竜宮美術旅館は、長らく廃墟同然であったが、黄金町周辺を会場としたアートイベント「黄金町バザール2010」(NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター主催)の開催を機に改装されたという。この展覧会の成立には、町(=黄金町)と場(=竜宮美術旅館)の歴史が小さくない影響を及ぼしているようだ。

しんぞうと窪澤の作品は、二階建ての和洋折衷の空間の所々に展示されている。それは吹き抜けの天井であり、廊下の壁であり、個々の部屋である[fig.1]。かつての性の匂いを想像してしまうその場所で、少なからず展覧会で目指されていたのは、その歴史に思いを馳せ、作品を作ることだっただろう。主に人体がモチーフのしんぞうのペインティングと、布や毛皮の素材が特徴的な窪澤のインスタレーションやオブジェは、ときにさりげなく空間に溶け込み、ときに大胆に空間を変容させている。
二階の「おとひめ」なる部屋に設えられたしんぞうの赤い布のインスタレーションと[fig.2]、「ひので」での窪澤の白いムートンを使ったインスタレーション《竜宮》[fig.3]が強い記憶としてある。部屋を横切る鮮烈な赤い布が連想させたのはへその緒—胎児とその母を繋ぐ血の管のようだ。構造としては天井から吊り下げられた《竜宮》は、女性が一心不乱にダンスを踊るようにも、苦痛にのたうち回っているようにも思える。あるいはしんぞうの《ふたり》と《Island》からは、男女間のディスコミュニケーションを連想させる。
胸をざわつかせる作品が多くある一方で、一階奥の「うらしま」にかけられていたしんぞうの《楽園》[fig.5]は静かな気配をそなえていた。水辺だろうか、横たわる人は死人のようでもあるが、胸のところがぽかりとあいており、そこから草が生えている。再生を思わせるその作品は、展覧会の要のようにも見えた。全体としても混沌とした中に清々しさが感じられたのは、二人がポジティブな力で竜宮美術旅館を、新しい場として作り出そうとしていたからか。ネガティブな力で作品を作れないのは自明であるから愚問だろう。

誰もが知るわけではない町と場所の歴史から、はたしてなにを掬いとるかが作家に最初に与えられた最大の課題であるならば、展覧会を見るかぎりそれは誰もが無視することができない性と生と死の物語として結実している。立石が選んだ二人の性が、男とは異なり命を宿すことが可能な女性であったのも、自然のことであったのかもしれない。


Fig.2 (右から)しんぞう 《まないた / Cutting board》(acrylic on canvas、80.3×100cm、2010) 
しんぞう 《Drawing-10》(ink on paper、14.2×21cm、2010)
しんぞう 《Drawing-8》(ink on paper、14.2×21cm、2010) 
しんぞう 《Island》(acrylic on canvas、33.5×33.5cm、2010) 
(手前)しんぞう《はじまり》(布、2010)
photo by:Yasuyuki Kasagi


Fig.3 窪澤瑛子《竜宮 / Ryugu》(ムートン・ゴム、サイズ可変) photo by:Yasuyuki Kasagi


Fig.4 しんぞう 《ふたり / Two people》(acrylic on canvas、89.4×130cm、2010)
photo by:Yasuyuki Kasagi


Fig.5 しんぞう 《楽園 / Paradise》(acrylic on canvas、130×194cm、2010)
photo by:Yasuyuki Kasagi

2011年1月11日火曜日

レビュー|「金子朋樹展 Axis-世界軸-」

展覧会名|「金子朋樹展 Axis-世界軸-」
会期|2010年12月13日(月)-12月18日(土)
会場|ギャラリーQ

執筆者|小金沢 智


Fig.1 「金子朋樹展 Axis-世界軸-」(ギャラリーQ)展示風景
左:《Axis/世界軸-万象は何を支軸に自転し、そして公転するのか-》 画像提供:金子朋樹


Fig.2 「金子朋樹展 Axis-世界軸-」(ギャラリーQ)展示風景 画像提供:金子朋樹

金子朋樹の、ギャラリーQでは3回目となる個展が開催された。出入口のドアを開け正面の壁面に展示されていたのが《Axis/世界軸-万象は何を支軸に自転し、そして公転するのか-》(ラウンドパネル/富山五箇山悠久紙・八女肌裏紙・新聞紙/正麩糊・三千本膠・天然蜜蝋/墨・染料・箔、258×515cm、2010)である(以後《Axis/世界軸》と略)。上下から中央にかけてラウンドしているパネルにはヘリコプターを中心に、群生する燕子花や落下傘が描かれている。ヘリコプターや落下傘というモチーフは洋画家・鶴田吾郎(1890-1969)の《神兵パレンバンに降下す》(油彩・キャンバス、194.0×255.0cm、1942)等の戦争記録画を彷彿とさせるが、1976年生まれの金子がそれらを描くにあたって参照しているのは、自衛隊のそれであるという。金子の出身地である静岡県御殿場市には自衛隊の駐屯地があり、ヘリコプターは珍しくない存在だった。作中でヘリコプターの機体が地上から見上げるような姿で描かれているのは、金子の実体験に基づくのだろう。
とはいえ、横から見た燕子花の姿からも明らかなように、描かれているモチーフの位置関係は一様ではない。そうした構図に加え影のように黒々と描かれた一つ一つのモチーフからは、金子が鑑賞者に対し、この場面を作家の心象風景として見て欲しいと考えているのだろうと想像させる。ステイトメントにも「原風景」という言葉が使われており、この作品は金子にとって〈自画像〉とでも呼べるものであるのかもしれない。


Fig.3 《Screen -flight -》(ラウンドパネル・富山五箇山悠久紙・八女肌裏紙・新聞紙・正麩糊・墨・箔、三千本膠・天然蜜蝋・染料、162.0×162.0cm、2010)
画像提供:金子朋樹


Fig.4 《Camouflage/カモフラージュ #1~#12》(ラウンドパネル・富山五箇山悠久紙・八女肌裏紙・新聞紙・正麩糊・墨・箔、三千本膠・天然蜜蝋・染料、30.0×30.0㎝、2010)
画像提供:金子朋樹

しかし、その〈自画像〉は個展を見るかぎり様式化されてしまっているように思われる。メインの作品である《Axis/世界軸》その他の小品は、いずれも同作を縮小したものであり、それ以上の印象を持たせるものではない。あるいは、それらがあくまで一つの個展での補助的な役割を担うものだとするならば、《Axis/世界軸》はそれ自体で意味内容がある程度完結するものである必要があるだろう。だが、《Axis/世界軸》が厳密な構成のもとに作られているとは思われない。たとえば画面には英字新聞が所々に貼られているのが確認できるが、聞けばコラージュという手法には意味があるが、その報道内容に特別意味はないという。全体にアトランダムに散らされている金箔も、それにより画面を半ば強制的にまとめようとしているという印象を持ち、ステレオタイプな「日本画」の反復のように見える。ディテールを詰めれば、よりシャープで明確な画面を作り上げることも可能ではなかったか。
個人的に残念であるのは、本展のメイン作品とみなして差し支えない《Axis/世界軸》が、そもそも完全な新作ではないという点である。《Axis/世界軸》は2010年6月、瑞聖寺ZAPギャラリー(白金台)で行なったグループ展「第1回 ガロン」展にて発表された作品であった。ガロンは日本画出身の作家6名と私からなる計7名のグループであり、金子はその代表でもある。グループ展という性質上、同展では1点のみの出品であったため、他の作品を合わせてのちの個展を構成しようという気持ちはわからないではない(大浦雅臣も出品作をのちの10月の個展に出品している)。しかし、展覧会の間隔が短いならまだしも、半年近くが経ちながらの個展への再出品は、いかがなものだろうか。ガロンを、最新作を出す場と決めたのならば、個展もそうであるべきではないか。次回、より厳しい態度の金子の作品が作られることを期待している。