会期|2010年8月28日(土)-9月20日(月・祝)
会場|神戸アートビレッジセンター
執筆者|小金沢 智

Fig.1 中村裕太《郊外住居工芸》2010 写真提供:神戸アートビレッジセンター 撮影:表 恒匡
中村裕太が近年タイルを使用した作品を制作しているということを知らないかぎり、床に敷かれたタイルが作家の設えによるものであることに気づくまで、しばらくの時間がかかるかもしれない。二人展である本展では、壁面に柴田精一の切り絵を複数枚重ねることで作られた、彩りの鮮やかな作品「紋切重」シリーズが飾られているから、なおのこと鑑賞者の視線は壁に向くに違いない。
ともあれ、それは責められるべきことではない。なぜなら、床面を使用して作品を展開する作家は珍しくないが、それらの作品の多くが装飾的ないし華やかさを志向しているように感じられるのに対し、中村は作品にそのような視覚効果を求めているわけではないからである。タイルの淡く、つつましやかな色彩は、特別注意をそそがなければ展示室に自然に溶け込んでしまい、鑑賞者が歩を進めるたびにカタカタとその独特の音を鳴らすのみなのだ。

Fig.2 中村裕太《郊外住居工芸》2010 写真提供:神戸アートビレッジセンター 撮影:表 恒匡

Fig.3 中村裕太《郊外住居工芸》2010 写真提供:神戸アートビレッジセンター 撮影:表 恒匡

Fig.4 中村裕太《郊外住居工芸》2010 写真提供:神戸アートビレッジセンター 撮影:表 恒匡
だが、目線を落としてひとたび床の設えが通常とは異なることに気づいたなら、途端にタイルはただの建築資材ではなく、まさしく「建築」として見るものの中で立ち上がるだろう。まず、ところどころタイルの色が違うことに気がつけば、それがある建築物の原寸大の間取りをあらわしていることに思い至るのに、そう時間はかかるまい。なぜなら、中村は丁寧にも、玄関、廊下、脱衣室、浴室、等々、そこがどういう機能を持つ場所か、文字でもってタイルの上に書き示しているのである。玄関や部屋ごとのドアはもちろん、壁も、階段も、バスタブも、家具も、何一つないタイルだけが敷かれている展示室が、否応なく建築としての構造全体を想像させるのは、間取りに加え、文字によるところも少なくない。
タイルが敷かれた展示室の向かいに展示されていた資料[註1]から、この作品は、中村がかつて実在した建築—平和記念東京博覧会(上野公園、1922年)での私設陳列室「タイル館」—の間取りを類推して作り上げたものであることもわかる。陶を専門とする作家であり、近代日本におけるタイル受容史の研究者でもある中村は、自ら図面を引き、資料にあるとおり「用途ニ依リ種々ナル異形及特種製品ノ華麗ナル「タイル」ヲ以テ」[註2]、曰く《郊外住居工芸》(タイル・資料他、2010年)をここに「建てた」のである。タイルだけの《郊外住居工芸》は、言うならば木を見て森を想像させる力がある。
加えて、制作の起点に今は失われた建築物があるというのは、神戸という町ではとりわけ示唆的である。そう、《郊外住居工芸》はにわかに1995年の阪神淡路大震災を連想させるのだ。会場である神戸アートビレッジセンター自体が、震災前から構想され、震災によって開館の延期を余儀なくされ、1996年にオープンした施設でもある。構造をまったく伴わないタイルだけの《郊外住居工芸》の展示風景は、さながらグランド・ゼロの光景のようでもある。
阪神淡路大震災にかぎらず、日本の建築は震災や戦災によって崩落と誕生を繰り返している。中村の《郊外住居工芸》が種々のタイルによるわずか数十ミリの厚みにより、建築が内包せざるをえないそのどちらの時間をも同時に表現しているということはここに書き記しておく必要がある。《郊外住居工芸》の、静謐な佇まいのうちに建築の苛烈な宿痾が見える。
[註1]中村は、「タイル館」外観が掲載されていた資料(高橋由太郎編輯『平和記念東京博覧会画帖』洪洋社、1922年6月)と、以下の文言を参考に作品を制作した。
「木造平屋建建坪十一坪五合三勺、中央塔身アリ内部ハ玄関、広間、化粧室、廊下浴室、脱衣室、便所ヲ設ケ外部壁、天井及壁面一部漆喰塗ヲ除キタル総テハ化粧煉瓦貼付トシ舘ノ内外、室ノ性質及壁面、床等ノ用途ニ依リ種々ナル異形及特種製品ノ華麗ナル「タイル」ヲ以テ貼付ケタ」
(東京府庁『平和記念東京博覧会事務報告』、1923年)
[註2]同註1
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