2010年7月21日水曜日

レビュー|アートフェア「ART OSAKA 2010」

展覧会名|「ART OSAKA 2010」
会期|2010年7月9日(金)-7月11日(日)
会場|堂島ホテル

執筆者|樋口 ヒロユキ


こんにちは、はじめまして。今回からこの「批評の庭」でお世話になる、樋口ヒロユキと申します。福岡県生まれの芦屋市在住。在野で美術評論を書いています。
もともと広告業界にいた私は、余技としてアニメやマンガ、演劇といったサブカルチャーの紹介をするうち、美術評論に転じたという経緯があり、このため「サブカルチャー/美術評論家」と名乗っています。両刀使いのようなものですね。
そうしたわけで、表通りのアカデミックな美術評論の皆さんから見れば、ちょっとヘンテコな物書きではあるのですが、なるべく肩の凝らないスタイルで書いていきたいと思っていますので、どうぞお気軽に読み飛ばしていただければ幸いです。

さて、閑話休題。先日私は「 ART OSAKA 2010」という催しに行ってきたのですが、このイベントは大阪や京都のギャラリーが一堂に集って即売会を行う、いわゆるアートフェア・イベントで、いわば非常に高級な「アートのフリマ」と思えば間違いありません。
なにせアート版のフリマですから、場所もちょっと凝っています。JR大阪駅から徒歩数分のホテルを、都合4フロアも借り切って行われます。2002年から続いているので、もはや夏の恒例行事。会期中はエアコンが効いているはずのホテルが、人いきれでムンムンするほどの賑わいを見せます。
今回は約半数のギャラリーが、個展形式で出展を行っていましたが、やっぱり個展形式だと頭も整理されて見やすいな、というのが第一印象でした。なかにはいくつか強く印象に残るギャラリーがあったので、ここにご紹介しておきたいと思います。

★桑島秀樹の「Eupholia」
まずはギャラリー「ラディウム—レントゲンヴェルケ」から出展した、桑島秀樹さんの作品です。桑島さんの作品は、お祭りの山車のようにも、巨大なミノ虫型ロボットのようにも見えるのですが、実はこれ、プラスチック製の安価なオモチャを積み重ねたもの。子どもだったら「あ、なんとかレンジャーの剣だ!」などと、ズバズバ指摘できるかもしれません。子どもにとってはまさに夢のような作品と言えるでしょう。


Fig.1 桑島秀樹「Eupholia」シリーズ(2010) 「ART OSAKA 2010」(堂島ホテル)展示風景 撮影:筆者

桑島さんはこの一連の作品を「Eupholia」シリーズと名付けています。Eupholiaというのは「多幸症」と訳されますが、睡眠薬などの副作用による、ちょっと病的なハッピーさを指す言葉です。確かにそう言われてみれば、子どもにとっては夢のようなオモチャの集積も、これだけ集まるとどこか毒々しく、化学製品特有の刺激的な色彩であふれていて、まさに多幸症的という感じがします。
実はこうしたカラフルなオモチャ、生産しているのはその多くがアジアの新興国で、なかにはもっと労賃の安い、低開発国で生産されているものもあります。かつては日本国内で生産されていたはずなのに、もはや国内で生産しても、コスト的に引き合わなくなっているんですね。言い換えるなら、こうした安価なオモチャの製造は、一つの国が低開発国から新興国へと成長して行く過程で、必ず経験するステップなのです。
桑島さんによれば、こうした段階にある国では必ずと言っていいほど、化学物質による環境汚染や公害が蔓延しているのだそうです。ちょうどかつての我が国が、未曾有の経済成長を謳歌しながら、同時に水俣病やイタイイタイ病などで苦しめられていたのと、ちょうどパラレルの関係だと言えます。
急激な経済発展の過程にある国が経験する、病的な狂躁状態の生み出したもの。それがこの「Eupholia」シリーズです。そう思うとこのド派手な作品、どこか不気味に思えてくるから不思議です。

★現代美術二等兵の「SALE」
美術作家というのは展覧会に行けば、きわめて低料金、もしくはタダで作品を見せてくれるのですが、その替わり誰かに作品を買ってもらって、その代金で生活しています。その「作品を売る」機能を持つのが商業ギャラリーであり、こうしたアートフェアなわけですね。従って美術作品は、人に何か物事を感じさせ、考えさせる芸術作品の面と同時に、商品としての側面を持っています。
ところが、ここに問題があります。どんな商売でもそうですが、高級品というのは「売らんかな」の態度で接客しては売れませんし、ましてゲージュツならなおさらです。「なんぼでっか、まかりまへんか」的なやりとりなどもってのほかで、会場ではもっぱらコーショーな芸術論や作品論が交わされます。
実際には「商品と作品」という二つの顔を持つ、双面神ヤヌスのような存在がアートなのに、片方の面はまるで存在しないかのように、誰もが振る舞っている。それがアートの世界なんですね。
こうしたアートの二面性を、巧みにおちょくった展示として目立っていたのが「松尾惠+ヴォイスギャラリーpfs/w」から出品した、現代美術二等兵でした。彼らの展示は見ての通りで、会場の至る所に「SALE」とか「大特価」といった垂れ幕が張られ、正札には赤線が引かれて値引きされ、蛍光マーカーで書かれたポップが踊っています。ほとんどスーパーの安売りセールですね。


Fig.2 現代美術二等兵 「ART OSAKA 2010」(堂島ホテル)展示風景 撮影:筆者

現代美術二等兵は、籠谷シェーン、ふじわらかつひとの二人からなる美術ユニット。美術にも駄菓子ならぬ「駄美術」があっていいはずとの思いから、誰でも楽しめるバカバカしい作品を発表し続けてきた二人組です。マガジンハウスから単行本『駄美術ギャラリー』も刊行されているので、ご覧になった方も多いかもしれません。
今回は「ホテルでのアートフェア」という、いかにも高級そうな演出の凝らされた、そのくせ「売り売り」の展示会という、アートの持つ二律背反性が露骨に出た展示会だったのですが、そのことを逆手に取って表現に結びつけた例は、私の見る限りこの現代美術二等兵だけのようでした。
環境の持つ意味を最大限に活かした展示という意味で、彼らの展示はきわめてサイトスペシフィックなものだったと言えるでしょう。冗談めかして二等兵などと名乗っていますが、なかなかどうして、都市ゲリラ戦にも結構強い、クセもの古参兵であるようです。
 
★井桁裕子と山路智生
このほか、ギャラリー「ときの忘れもの」から出品した井桁裕子さん、「乙画廊」でのグループ展形式の会場に出品した山路智生さんが、私にとっては興味深い作家でした。
井桁さんの作品は、いわゆる球体関節人形ですが、具体的なモデルを象って制作されているのがその特徴。モデルの歩んだ人生を、綿密で全人的な付き合いを通じ、丹念に聴き取って作られています。


Fig.3 井桁裕子《Makiko doll》(2009) 「ART OSAKA 2010」(堂島ホテル)展示風景 撮影:井桁裕子

ここに掲げた作品の場合、片脚を失った女性がそのモデル。人形の片足が奇妙な形の義足になっているのはそのためです。これを見て「単にグロい人形」と思ったか、足早に立ち去る人が多かったのは実に残念。わからないもの、いやなものほど作家にその思いを聞いて、じっくり考え、見て欲しいと思います。

もうお一方の山路智生さんは、自作の完全変形オブジェを出品した新人作家。下の写真にある右と左の二点は、実は全く同じもので、ビス留めされた部分を回転させると、このように変形します。


Fig.4 山路智生《h010101》(2009) 「ART OSAKA 2010」(堂島ホテル)展示風景 撮影:筆者

山路さんはもともと理系の技術職から、この世界に転進してきた変わり種。CADで自ら設計し、本来は工業製品の試作に使う「3Dプロッタ」という工作機械を使って、このオブジェを完成させたのだとか。「とにかくこんなもの作っちゃったから売ってくれないか」と、ギャラリーに持ち込んできたというツワモノです。
しゃちょこばった美術史とは何の関係もない、技術オリエンテッドなその作品は、美大、芸大卒の常識的な作品とは対極にあるもの。作品数がまだ少ないため、今回はグループ展での参加でしたが、今後どういう展開を遂げて行くのか、個展を是非見てみたい作家です。

……というわけで、自分の気になる展示をピックアップしてみたのですが、いずれもある種の「チープさ」や、人形などのオモチャ、玩具と、なんらかの関係があるものばかりを選んでしまったのは、我ながら奇妙な思いがします。ただ、これは単に自分のなかにそうした志向性があるというだけでなく、今の美術の中にある、なんらかの潮流を物語っているのかもしれませんね。
さて、初回からあれやらこれやら詰め込んでしまいましたが、あまり飛ばしすぎて息切れするとなんですので、今回はこのへんでお別れしましょう。それでは、また次の機会まで、ごきげんよう。